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久万町誌

二 久万町の地下資源

 久万町の地下資源は極めて少なく、わずかに金属鉱石としてアンチモニー鉱・銅鉱があり、非金属鉱石に石灰岩・安山岩・砥石・石墨があるが、現在は安山岩を積石材及び砕石材として利用しているにすぎない。
 二名の富重にアンチモン鉱が産出されていたが、量が少なく鉱石として利用するまでにはなっていなかった。現在は、増水後、川に流出しているのを時々みかける程度である。
 銅鉱としては、二名から野尻・槙谷・上直瀬を結ぶ緑色片岩地帯に小さい鉱脈を散見することができる。昭和二八年から一九年ごろまで、二名に伊予鉱山という会社があり、政府の補助を受けて鉱夫五○名前後を使い、黄銅鉱を採掘して四阪島精練所に送っていた。しかし、鉱脈が小さい上含有量も少なく、採算はとれなかった。けれども、第二次世界大戦中の金属資源確保のために掘られたのである。その他、実験的に採掘されていたものに、菅生の岩谷・下野尻のウスギの峠・槙谷の有枝川岸・上直瀬の段ノ奥があるが、現在は採掘跡がみられるにすぎない。     
 下野尻及び二名の徳好に石灰岩を多く産し、明治の終わりごろより昭和二三年ごろまで、二瀬橋の上及び徳好で石灰岩を焼き石灰を製造していた。
 久万町で採掘されているものに安山岩がある。これは、土木石材として利用価値が高い。東明神・西明神・上畑野川・上直瀬に黒雲母安山岩、斜方輝石安山岩及び讃岐岩質安山岩があり、その埋蔵量は極めて多いが良質なものは少ない。(図)西明神槙ノ川の黒雲母安山岩、仰四及び東明神赤坂の斜方輝石安山岩を、現在さかんに採っている。これらは良質の安山岩である。(図)
 石灰では、久万層群のなかに多くの令炭地を見ることができる。昭和一七、一八年ごろ、菅生の長谷・岸の下・上直瀬の古宮・菅沢・直瀬橋付近でかっ炭を採掘しており、家庭用燃料として利用されていた。
 瀬戸に比較的硬質の中砥の砥石がある。江戸時代の中ごろから瀬戸砥の名で広く郡外まで売りに出され、鎌、斧を研ぐために使用されていた。昭和三〇年ごろより採算がとれなくなり、現在では「砥石場」の名でその跡が残るのみである。鉱泉に嵯峨山鉱泉がある。硫黄及び塩類を含む冷鉱泉で、緑色片岩から自然に湧出している。一日の湧出量約九㌔㍑で、温度は十六度Cである。一八〇〇年ごろより皮膚病の鉱泉として名高く、そのほか胃腸病、神経痛にも効用があるといわれている。

久万町の地質

久万町の地質