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久万町誌

一 上黒岩岩陰遺跡

 四国における洞穴遺跡は、四国四県から、それぞれ発見されている。そして縄文時代のもの、弥生時代のものが圧倒的に多い。もちろん洞穴遺跡は、そのなかに岩陰遺跡も含まれており、石灰岩地帯である上浮穴から、高知県北部にかけて多い。
 昭和三六年六月に、美川村上黒岩(ヤナセ)で発見された岩陰遺跡は、その代表的なものといえよう。縄文文化の時代は、一般に、早期・前期・中期・後期・晩期と区分されているが、これは愛媛県では初めてと思われる縄文早期の遺跡であり、それまでに郡内でも、久万町を中心に、多くの縄文、弥生時代のものが見られたが、一万年以上も前のものは、これが初めてである。
 松山と高知を結ぶ国道三三号線沿いに流れる仁淀川の支流、久万川の対岸にあって、地形的には、久万川の河床面から、高さ約一〇㍍の水田に接し、高さ三五㍍の白い石灰岩が、びょうぶ状に露出して、いわゆる岩陰遺跡を呈している。
 これは、当上黒岩の竹口渉が、新しく水田を開いた際、土器や人骨、貝殻の類が出ていることを知って、地元の美川中央中学校をはじめ、関係機関に報告した。そして、この年の一〇月から翌年一〇月にわたり考古学的発掘調査が行われ、この遺跡が、愛媛県に在住した縄文初期人の形質を知る上で重要であり、また日本文化の系統発生的研究上にも、欠くことのできない重要なものの一つに数えられるようになった。