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久万町誌

1 出土品

 発掘調在の結果によっても明らかなように、古くはこの附近に多くの動物が生息していたであろうと思われる。
 シカ、イノシシ、タヌキ、クマ、テン、犬、ムササビ、山鳥、そして淡水産の川ニナ、マシジミの貝殻の他にコイの背骨、カニのはさみなど、多種のものをあげることができる。また海産のハマグリ、カガミ貝、ミルクイ、イトマキボラなどが見られるが、これらについては、今後の研究に待つべきものが多い。
 発掘調査は発見の翌三七年にも七月と一〇月の二回、二次、三次の調査が行われ、第一次のときに発見された人骨五体分と合わせて、一〇数体以上にものぼる人骨が発見されている。成人の男女、幼児などさまざまであり、屈葬に近い完全な一体を除いては、無雑作に埋葬されており、死体置場のような感を呈している。
 更に、我が国で初めてといわれる線刻神像石が、ここから発掘されている。手のひらに乗るくらいの長まるい緑泥片岩の河原石に線刻して人物を表しているらしい。頭髪の線は長く、その下に上向きの放物線状の線が両側の頭髪を取り囲むように描かれており、これは乳房を示す線と考えられる。下半には帯状の線を横に引き、その下に不規則な縦線を引いて、腰みのを表現したかに思われる。発見された七個のうちには、この腰みのの下に、デルタ地帯を表現したかに思われる逆三角形の線刻も見られ、女性像であろうと考えられる。何を目的として作られたかは、さだかでないが、縄文期に見られる土偶と同じように魔よけか、あるいは、狩猟などのおまもりにされていたのかも知れない。
 この特色ある線刻の岩偶のほか、多くの石器、骨角器と混じって、時代の古さを示す土器が数多く発掘され、旧石器時代から新石器時代への橋わたしとしての洞穴、岩陰遺跡であることが明らかとなった。そして、これらの土器に見られる押型文、条痕文、無文、縄文、またその下層に出た細隆起線文土器や尖頭石器類を見るとき、この遺跡が縄文早期以前のものとして、上浮穴のひいては我が国未開社会研究の曙光となって、今後さらに明らかにされることであろう。