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久万町誌

1 町内の縄文土器

  ア 芋 坂
 父野川より山道を約一五○○㍍登る。ここは比較的広々とした草原であったが、第二次世界大戦の後、数戸の人々によって、開拓されたところであり、郡内で初めて土器が発掘された所として注目される。土器、矢じり、石斧などがある。
  イ 笛ヶ滝
 久万小学校の西三〇〇㍍、国道三三号線の久万バイパスに接した景勝の地である。
 町内で最も多くの出土品を得たところであり、昭和三六年一一月、発掘調査が行われた。それによると、今から約三〇〇〇~二五○○年前の、いわゆる縄文後期から晩期の条痕文や無文の土器が主であり、それに混じって、縄文早期の押型文、後期のすり消し文、更には約一五〇〇年前のものと思われるつぼ型の土器の破片なども発見された。石器で最も多いのは矢じりで、なかでも五角形に近いものが多く見られるのは晩期の特色を示すものである。
  ウ 山 神
 東明神の久万川にそそぐ谷あいを入り、明神小学校の裏に面した開墾地であり、二か所にわたって埋蔵されている。
 笛ヶ滝より、やや古い様式と思われるすり消し文が発掘されている。開墾当時には、かなりりっぱな出土品もあったが、不要なものとして、こわされたかに言われている。
  エ 橋詰付近
 父二峰小、中学校を囲むこの周辺には縄文後期のすり消し文が多く出土している。このうち、生姜駄馬とに早瀬には笛ヶ滝と同じ、きめこまかで美しいすり消し文が見られ、矢じりを伴って出ているが、御所駄馬のは橋状の柄がついていて、芋坂の薄手の磨製石斧を伴って出ている。
  オ その他
 これらの埋蔵地のほか、土器の口に、突きさし手法を施した槙野川のもの、やや粗末ではあるが、落合や二か所にまたがる菅生台の無文のもの、また馬酔木谷のものは文様が見られないような細片が多い。同様のものが厚手の磨製石斧を伴って西峰からも出ている。
 このほか、千本駄馬、由良野、三坂などには弥生時代のものと思われる文様の土器が見られるが、特に三坂峠のものは、三坂中継所の道路工事中に、ほぼ完全に近いつぼ一個が発掘されている。
 以上のように、町内のほとんど全域にわたって、原始文化の跡が見られるが、概して西の父二峰地区に多いように思われる。しかし、東の川瀬地区、特に直瀬でも石斧と思われるものが発掘されており、注目されている。

町内の出土分布図

町内の出土分布図