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久万町誌

4 政党政治

 大正に入って国民の政治についての考えはしだいに進み、ようやく真の立憲政治を打ち立てようとする機運か起こり、大正七年には政友会総裁の原敬が我が国最初の本格的な政党内閣を成立させた。
 一〇年に原敬が暗殺された後、また政党に基礎をおかない内閣がつづいた。
 一三年には憲政会総裁の加藤高明が護憲三派内閣を組織してからは、衆議院に多くの議席を占める政党が内閣をつくる慣例が開かれ、政友会と憲政会の二大政党が交互に内閣をつくり、こうした政党内閣は昭和七年政友会の犬養毅内閣がたおれるまで続いたのである。
 県政においても政党色が強くでて、明治四○年から大正元年には本郡からは高橋精一郎が憲政本党から、政友会では大西平三郎が出ている。明治四四年九月に県議総改選となり、県内各地で、政友、憲本のはげしい選挙戦が行われ本郡からは都築九平が中立で当選している。
 大正四年九月の県会議員総改選では正岡慶三が政友会で当選、大正八年九月県会議員の改選で本郡は菊池卯平が憲政会で当選、大正一二年改選では大野助直が政友会で当選している。このように中央地方ともに政党政治の華やかな時代であった。