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久万町誌

四 若連中と子ども組

 大正以前は若連中という青年の集団があって、一五、六歳になったら強制的にこの組にいれられたのであった。結婚したらやめる。必要によって組々で会堂に集まり会議もした。この若連中のすることは、秋祭りの輿守、獅子舞いなどであった。これは青年の大切な役割であった。また、集まった時には「力石」をかついで力だめしをしたりした。「あり殺し」というのが初級で力石をありが通るぐらいしか上げられない級、次が「膝取り」で膝まで石をあげることができる級、次は腹まで、最上級が肩までという四段階あって、肩まで上げたら名誉であり、力自慢の一つであったという。
 明治・大正以前は「相撲」が大流行し、宮の奉納相撲が各村々で行われ、青年がよく相撲をとり村の人々も大勢見にいった。
   いわざ小屋
 小組の集会所で、青年たちがここへ集まって、ぞうりやわらじなどを作った。
 娘連中の集団はなかった。「女の子は外へ出歩くものでない」という考え方からきていたが、お稽古ごとは、四人、五人と習いにいった。裁縫とか、三味線習いであった。
   よばい
 昭和のはじめごろまではよくあった。若い衆が娘さんの所へ夜いくのであるが、親が気にいった青年であればはいらすが、気にいらない時は戸をしめて入れないこともあった。