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久万町誌

4 その他のならわし

  ア いわざ
 いわざというのは、わら細工のことである。
 その年に必要な、たわら・さんだわら・なわ・ぞうりなどが作られた。この作業は、農閑期である冬期に主として行われた。
 この作業は、藩政時代から明治、大正の時代を経て、昭和の初期まで続けられた。だから、当時の人は、このわら細工については、子供にいたるまでじょうずで、器用であった。しかし、わらを使うために、手があれていた。寒い季節だけに、あかぎれ、ひびなどができてこまったそうである。
 この作業の中で、たわらや、さんだわらはわらのしぶをのけただけで作ったが、なわや、ぞうりに使うわらは、水をつけて石の上で木のつちでうち、やわらかくして使った。時にぞうりにはもち米のわら(ねばりがあって強い)を使ったそうである。
 若い衆の集まりの時にも、この作業がよく行われた。その理由は、若者のまつぼり(外収入)になったからである。
  イ 道ぶしん
 地域の中央に主要な道がある。そこから、家へ通ずる道、山へ通ずる道、それから、他の集落や村へ通ずる道と、数多くの道があった。そこには幾多の橋もかけられていた。この姿は今日も同じである。
 しかし、当時の道は、今日のように、舗装などされてない上に、道幅も狭く、橋も、木の橋や石の橋が多かった。だから、これらの道や橋は、雨が降って大水が出ると、あれたり、流されたりした。また、当時は馬や牛が多く通ったので、ひどいところは、あるきにくかった。そのため、春と秋の二回、年中行事として定期的に道の修理をした。これを道ぶしんと呼んでいた。ところによっては、年一回旧盆前に行ったそうである。だから、地域によって回数や期日は違っていたようである。
 この道ぶしんの日は、ふれを出し、組内総出で労力奉仕をした。この本仕作業は、組長の指示に従って、それぞれ分担された道の修理にあたることであった。藩政時代には庄屋の命によって特定なところだけを修理していたようである。この作業には地堀・かまなどを持参して、みぞをほったり、土や石を入れたり、草を刈ったりしてきれいに修理した。
 この習慣は今も残っている。