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久万町誌

第四章 年中行事

 藩政時代には久万、川瀬地区は松山藩に属し、父二峰地区及び下野尻は大洲藩に領されていた。府県政が敷かれるようになった明治初年に父二峰地区及び下野尻も小田郷とともに上浮穴郡政下におかれるようになった。更に町村合併により現久万町になる。
 したがって、民情、風習ともに違いがあり、年中行事も異なる点が多い。(旧町村別あるいは大字地区ごとの年中行事を集録することができないので、特殊なものを除いては大字地区名も削除することにした)
 なお、明治三〇年ごろより太陽暦が用いられ、幾分年中行事の中にもそれが取り入れられるようになった。戦後はもっぱら太陽暦が用いられるようになったが、ここに記載するものはすべて太陰暦による。しかし今日では一月遅れの太陽暦で実施しているものもある。