データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

三月

 1 桃の節供
 三日は、桃の節供でヨモギや各種の色粉(五穀の色を表すといわれる)を混入して餅をつき、板状に延ばして菱形に切り、それを重ねてお雛様に供える。三月の節供は、女の節供で女の子の生まれた家へは嫁の里や近親者又は懇意な人々からお雛様が贈られる。巻ずしやお煎りなどをお神酒とともに供えて祝う。翌四日は、「ひなあらし」といって一家そろって弁当を携えて花見に山へいく。若者や世もちの男子は家々を回る風習があった。子供がだんだん成長していくにつれて、お雛様を飾らなかったりすると、縁遠くなるなどといわれ、年に一度は必ずお雛様を飾っていた。
 2 祈 年 祭
 陽春に入り各種作物の播種時期となると、各神社で農作物の豊作を祈願するための祭典が行われる。今年播種する種子を神社に持参し、豊作を祈る。この行事は上旬に行われていた。今もなお、行われているところもある。
 3 お大師さまの日
 二一日はお大師さまの日といい、菅生山大宝寺、海岸山岩屋寺では盛大な法要が行われる。当日はほとんどの家の者は両寺いずれかにお参りをする。両寺の沿道には数十の露店が出され市が立つ。見せ物・のぞき・浪曲師がくるなどにぎやかな時代もあった。近郷近在からも参詣者が押しかけ、それに四国遍路も多数参拝につめかけ、にぎやかで混雑を極めたものである。昭和二〇年ごろからしだいにさびれてはきたか、大行事の一つとして今なお続けられている。
 また、この日の前後は、四国八八か所の巡拝者が最も多く通るので、両寺の沿道ではこれらの人々に、お接待といって、おすし・餅・赤飯・草履・わらじなどをふるまい「お大師さまにおつとめができた」と喜ぶ風習が見られた。しかし大正になって衰え戦時中以降は全く見られなくなった。
 4 お彼岸の墓参り
 一八日より二四日までをお彼岸といって、遠く他府県に勤めや働きに行っている者も帰省し、樒を携えて先祖のお墓参りをする。一七日までに墓掃除をすませ樒を立て、神式では榊を供え、先祖の霊を慰める。また、他家に嫁いでいるものも「お彼岸やしない」といって実家に行き、先祖の墓にお参りする。ぼたもちなどを作って持っていき、先祖の霊前に供える。このような行事を通して祖先崇拝の気持ちが培われた。秋の彼岸にも墓参りが行われる。