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久万町誌

七月

 1 石鎚山祭り
 昔より各組に一か所の常夜灯があって、輪番で灯明を上げていた。灯明台には、天・金・石の三文字が掘り込まれている。これは、天照大神・金刀比羅宮・石鎚大権現の頭文字を書いたものである。この地方では石鎚山へ登ることを義務づけられているくらいまでに信仰していた。男子が一五歳になると「お山登りはすませたか」と尋ね合うくらいであった。
 毎年七月一日がお山開きで一〇日まで開山される。登山者は、一週間にわたり毎夕方、先違が法螺貝を吹いて念仏を唱えつつ七五三縄を張り、川水で身体を清める。その行を遂げた者だけに登山資格ができるという厳重な掟があった。なお魚類は食わないこと、身に穢れのないことなどの掟があり、これを破った者はお山で放りとばされるという訓戒があった。これを守って登山し石鎚大権現にお参りしたものである。
 昭和年代に入ってはこの難行もほとんどやめられ、一部の者になった。
 2 七夕祭り
 七日は星祭りともいわれ、里芋の葉の露を採って、それで墨をすり、色紙に天の川・七夕・銀河・牽牛・織姫などと書き、今年竹の笹にぶらさげて縁側に立てる。祭壇を作り西瓜、南瓜、キュウリなどを供え、大きな鉢に水をためて七夕のお祭りをする。
 墓掃除はもちろんのこと、家中を清掃し先祖の霊をまつる。
 この日は川で泳げないことになっている。翌日には七夕の笹などを取り払い付近の川に流す。
 3 新 盆
 一四日から三日間、仕事を休む。新仏のある家では、七月に入ると家の前に施餓鬼旗をこの月中立てる。
 「新盆」といい、一四日には新仏をおまつりする。近親者や近所の家では米一升(一・八㍑)とそうめんなどを持って行き霊をまつる。
 4 お 盆(第一〇章「信仰形態」参照)
 一四日には百八灯を行う。
 迎え火として先祖の墓前で「松明」を明かしおがらを焚く。迎え火のことを「仏迎え」という。所によっては、家の近くに灯明を上げて仏さまに帰ってもらうところもある。
 仏壇は一四日までに、ミソハギ(ソウハギ)、クズ葉、笹、里芋などを飾って整え、先祖をおまつりする。
 一六日又は一七日には、盆踊りを大字地域ごとに行う。所によっては、盆踊りとともに若い衆がのぼりをかついで歩くところもあった。
 5 土用入りのお祭り
 七月二〇日の土用入りの日に、お堂又は組長の家に組員が全部集まり、鐘太鼓に合わせて「南無阿弥陀」を繰り返し念仏を唱えつつ数珠を繰る。一日に一万回繰り終わらねばならないことになっている。数珠の玉はチナイの木でできており、その数は、三六五で一年の日数に等しい。これを綴る綱は麻製で、長さ約一三㍍あり、この輪を繰るために一回転約二〇分間を要する。近年では一〇〇回くらいでやめ、酒を飲んで解散している。これは夏におこる悪病を払い無病息災を祈るためのものである。
 6 施餓鬼(第一〇章「信仰形態」参照)
 七月一日、又は二五日と地域によって、多少異なるが、この日は、お寺で故人の霊を慰める供養が盛大に行われる。新盆のある家では外に施餓鬼旗(盆旗)を立てる。なお一日に風祭りをするところもある。
 また、山の神祭りもして酒を飲む。特に明神地区では施餓鬼とともに、各戸より一名ずつ「ウチワ」をもって寺に集まり、輪になって「口説き」という音頭に合わせて仏前で踊りをする。この踊りも明治三〇年ごろまで続けられていた。