データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

1 大蛙の報恩

 昔々、久万町大字東明神の高山組に儀助という資産家で、豪勇の男が住んでいました。子どもはなく、夫婦暮らしの安楽な日々を送っていました。
 ある日、駄馬に荷をつけ東明神上組の日の地の畑に向かう途中、『鳶の巣』まで行きますと、急に馬が何物かに驚き、一歩も歩かなくなりました。儀助はしかたなく馬の前に回り、馬のロをとって引っぱってみましたがやはりだめでした。
 ふと馬より一間ばかり先を見ますと、大きながま(蛙)が大きな蛇にねらわれて逃げ回り、ついに力尽きて呑まれそうになっているところでした。儀助はその蛙の命を救おうと思い、付近にあった丸太を手に持ち、全身の力をこめて大蛇をたたきました。そしてその大蛙を救ってやったのです。
 ところが。妻が急に病気になりついに死んでしまいました。
 それから二か年ばかりたったある年の正月、五〇歳足らずの美しい女の遍路が儀助の家へやって来て、一宿を乞いました。この女が下女同様によく働き、細かいところまで気がつき、何くれと儀助の世話をしますので、儀助はその女遍路を後妻として迎え入れました。
 それより儀助は病に伏す身となり、日に日に病体は悪化し、いろいろ手当てをしてみましたがその甲斐もなく、なかなか快癒しません。
 そのとき、越中富山の薬売りが突然姿を現わし、儀助の容体を診察しました。そして、
「この病気には鳶の卵が一番よくききますが、それを採ることはたいへんむずかしいのです。でも、それを飲まぬかぎり生命は助かりません」と言って、大きなため息をもらしました。その話を聞いていた儀助は、「それならばかの鳶の巣山に鳶の巣があります。しかし巣がかけられている松の木はあまりにも大きすぎて、この近辺にはその松の木に登れる人がひとりもいません。まことに残念でなりません」といって、涙をはらはらと流しました。儀助の話を聞いていた後妻は、「では、私がその松の木に登って、鳶の卵を採って参ります」
と言って立ち上がりました。
「男でさえ登れない大木に、なんで女の身であるおまえが登れよう」という儀助の言葉には耳もかさず、鳶の巣山めかけて走り出しました。
 鳶の巣のかかっている松の木の下に着きますと、後妻はきょろきょろと四方を見回し、人のいないのを確かめると急に姿を大蛇にかえて、松の木に登りはじめました。
 儀助は後妻の身を案じ、病体をおして見えかくれにあとを追って行き、この有様を一部始終見て、肝をつぶさんばかりに驚きました。
 大蛇が鳶の巣に達し、卵を採ろうとした瞬間、大鳶の激しい羽音が松の木のこずえをゆさぶり、大鳶が大蛇めがけてとびかかっていきました。そして大蛇をつかむがはやいかベリベリと引き裂き、大地にたたきつけてしまったのです。
 そのとき、薬屋も儀助のあとを追って来ていましたが、大蛇の最期を見とどけるとにわかに大蛙の姿にかわり、
「先年、ここで助けていただいた大がまです。あのときの大蛇があなたを恨み、女に化けてあなたの命をねらって家へはいり込んでいたのです。それを知って御恩返しをしなければと思い、薬売りに化けてきょうの狂言に及んだのです。ようやく御恩に報いることができました」
と言い、おじぎをするとどこかへ姿を消してしまいました。
 それ以後、儀助の病気は日に日に快方に向かい、やがて健康をとりもどしました。
 これ以後、儀助の家では雨蛙のような小さな生き物でも、決して殺さぬようにと子孫に言い伝えたということです。
 また、この地方の山林が、今日、土地台帳に『鳶の巣』と登載されているのを見ても、昔から鷹、鳶類の棲息したところに相違ありません。