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久万町誌

2 頼政のはなし

 むかしむかし。中津の二箆に貧しい母親とひとりの子供が住んでいました。子供は頼政と言う名前でした。力も強く利口な子供なので、母親は早くこの子が大きくなって暮らしの助けになればよいと、かねがね思っていました。
 母親の思っているとおり、年ごろになるとよい若衆となり、やがて弓の名人となりました。
 近くの村から遠くの村まで知れわたり、都へまでその名はひびいていきました。
 ある日のこと、都から弓の名人頼政を召しかかえるという下知(おふれ)があったので、とうとう都へ上ることになりました。あとに残った母親は、頼政の出世を祈って二箆の池で水垢離を取りました。毎日毎日、池の水の中へはいって、神さまに願掛けをするのでした。
 三三日の満願の日に、母親はいつものように朝早く起きて池へ行き、池の中で、水をかけて体を清めていました。水の面をひょっと見るといつもの自分の姿はなくて、頭は猿で体は竜の姿をしたものが水に映っています。
 はて、われはどうしたものかと思って、よくよく見てもわれの姿はありません。情けないことに鵺になってしまったと思いましたが、もうどうしようもありません。
 こんな姿では中津にいてもしようがないので、息子のいる都ヘ上ろうと思い、歩こうとしますと、たちまちのうちに空へとび上がってしまいました。中津の村もこれがしまいじゃと思い、ふっと大きい息を吐きますと、父二峰の村一帯に白い霧がかかりました。(父二峰の霧はこの時から始まったのだといわれております。)
 都へ行ってから、母親は頼政に会おうと思いましたが、今では鵺の姿になっているので会うこともできません。仕方がないので頼政の主人の屋敷の屋根の上に、毎夜毎夜姿を現しました。頼政の主人は、そのため病気になって、うなされるようになりました。
 だれかうまく退治するものはないかと主人がふれを出しましたので、大勢の家来が我も我もと弓を射ましたが、だれの矢にもあたりません。母親は、頼政のために頼政に射られてやろうと思いました。いよいよ頼政が退治する番になりました。
 ある雨の降る晩に頼政が矢をつがえて待っていますと、屋根の上に鵺が姿を現わしました。ひょうと射ますと矢は鵺の目と目の間にあたり、鵺は屋根の上から落ちてきました。
 頼政はおほめにあずかり、立派なほうびをもらってたいそう出世をしました。