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久万町誌

2 出 産

 妊婦が産気づくと、すぐとり上げ婆さんに連絡し、夫は初湯の準備をした。
 妊婦にはなま味噌を水に溶いてさかずきに一ぱいぐらい飲ますことになっていた。また、出産後には生卵を溶いて一個飲ませた。これらは後産がこなかったりするのを防ぐためである。
 新生児のへその緒は、結納の際、新夫方から持参された「ともしらが」(えどそ)とともに細い糸によって結ばれた。
 産婦にフンドシをさせ仰臥し膝を立て足を閉じたまま休ませた。仰臥が疲れると、そろそろと横にもならせた。ただし、横になって長時間いることは許されなかった。これは子宮後屈となるのを防ぐためである。
 産後の食事には、里芋の茎をなまのままで乾燥させたものを短く切って味噌汁の具に入れたものを用いた。味噌汁のだしにイリコはあまり使用させなかった。乳児が下痢を起こすからである。また、醤油も市販されているものは使用させなかった。それはカンゾウやアミノ酸を使っているので乳が減るといわれていたからである。豆腐も禁じられていた。乳があがる(でなくなる)とされていた。
 青身の魚は、乳児が下痢をおこしたり、産婦も血の道が狂うたりすることがあるので一〇〇日を過ぎるまでは食わせなかった。また、産婦がかく乱をおこしたり乳児に湿しんがでたりすることがあるなどとも言われた。
 新生児には「胎毒をおろす」ということで、五香(フキの根とヨモギの根を煮出した汁)を吸わせた。五香を湯のみに入れ、ヤイトを絹で包んで乳首を作り、それを五香につけて吸わせた。これは生後三日間ぐらい続けられた。
 新生児は三日ぐらいたつと乳房がふくれてくるから、このとき乳をしぼってやれば血の花やふきでものが出ないとされていた。
 出産のお手伝いをした人たちはうぶのままといって産後のご飯をごちそうになった。
 産じょく中の産婦は特に食養生に注意し、家事のすべてから除外されていた。
 食養生については七五日を過ぎるぐらいまではずいぶん気をつけたものである。そばや小豆は産婦の血が冷えるからだめ。鶏肉の刺身は条虫がわくからだめ。なまもちはリュウマチになるからだめ。つるし柿も血が冷えるとして一年ぐらいは食わせなかった。(水もちは乳の出をよくするのでよい)とうもろこしはいいなどとされていた。裕福な家庭では産後三日目ぐらいにたいの味噌汁を食わせた。
 後産は家から巽の方角のところへ埋めた。ところによっては、後産を太陽に当てるのはよくないという考え方から床下に穴を掘り、つぼに入れて埋めたところもある。最近はほとんど墓地に埋めるか、焼却する。