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久万町誌

二 万 才

 上浮穴郡に万才が伝わったのは江戸時代で、松山に伊予万才が始まってしばらくしてからのことである。
 城主久松公が三河からお国かえの際に「喜八」なる太夫をともなって来松した。彼が溝辺に伝えて「溝辺万才」となった。また、この喜八なる人が、本郡の美川村大川地区と、本町の父野川地区へも伝えた。
 元来、万才というものは、めでたいときに舞うものであって、正月の月は、さきの二地区は、ともに各地を巡業していたそうである。
 父野川地域の人も昭和一六年以前までは巡業に出ていたそうである。
 正月の月の万才には、豊年おどり、松づくし、千本桜の三つがあった。この三つは特にめでたいおどりとして、いろいろなめでたい行事のときによく舞われていた。
 なお、久万山万才というのは父野川、大川の万才をさして言ったものである。このほか菅生や明神、二名にも広がっていった。菅生では、大正のころからはじめたもので歴史も浅く、また、菅生山大宝寺の縁日に舞うのが主目的であり、昭和一五、六年ころにやめてしまった。
 現在は各地域で、文化祭、運動会、公民館祭等で、小中学生のあいだにも受け継がれ舞われている。
 以下、万才の歌を記す。
  ○豊年おどり
 子とうさええのさえのさ、年内夫婦は睦まじく マタ仲良に、暮らすのが福の神、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 丑とさええのさえのさ、牛牛づきよで暮らすなら、マタ求めりゃ、百姓の宝なり、ヤレ豊年かない、チョイト豊年じゃい。
 寅とさええのさえのさ、隣の宝を招くよりマタわか家に、宝を招かんせ、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 卯とさええのさえのさ、運づくものとはいうけれど、マタ稼ぐに、追いつく貧乏なし、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 辰とさええのさえのさ、やれたつそらたついまもたつ、マタ国々めぐりて稼ぎたつ、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 巳とさええのさえのさ、皆さん寄りての夜話しに、マタ今年も、世が良うて米さがる、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 午とさええのさえのさ、馬々づきよで暮らすなら、マタ一七、八からはたちまで、ヤレ豊年かいな。チョイト豊年じゃい。
 未とさええのさえのさ、ひつじのなんどき油断なく、マタ心を、かせいともたしゃんせ、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 申とさええのさえのさ、さるさえおやには孝行する、マタむすこの、子ならもたしゃんせ、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 酉とさええのさえのさ、やれとるそらとるいまもとる、マタ伊勢び屋の川原でこりをとる、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 戌とさええのさえのさ、居にくいところで奉公を、マタつとめりゃ我が身のためとなる、ヤレ豊年かいな、チョイト豊年じゃい。
 亥とさええのさえのさ、いよいよ五穀は成就して、マクこれから、世の中が豊かなる、ヤレ豊年かいなチョイト豊年じゃい。
  ○伊予万才 柱ぞろえ
  徳川家にはご万才で
まず 正月の元旦に おてかな万才
おどり出す、柱ぞろえのことなれば
さて、
一本の柱には、一天が世界なり、治まる御代こそありがたや
二本の柱には、にっこり笑うたら大黒さん、若えびす
三本の柱には、右近じゃ、左近じゃ、左近じゃ、右近じゃ、花橘のしるしまで
四本の柱には、四方まほめじゃ、次郎松ここらで、あほべとしょ
五本の柱には、五葉の松、栄えた五葉の松
六本の柱には、櫓に舵そろえて、大根緋のかぶらそろえて千石船水戸入り
七本の柱には、七福りんとせい、腰骨強いがしゃんとせい
八本の柱には、八棟造りしょ次郎松家は、草屋ぶき、屋根はチク(竹)前、桧わだぶき
九本の柱には、九重に盃次郎松受けたが継がなんだ、すすめてありがたや
十本の柱には、寿じゃ、福寿じゃあら、福の神
百本の柱には、おまえ百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪のはえるまで
柱ぞろえと名を残し、まことにめでとう、そうらいけれど………
踊り子 「まずは太夫さん.これまででござる」
太 夫 「右の万才めでとうまい納めるかよかろう」
踊り子 「あとはいそいで太夫殿から」
  ○なぞずくし数え歌
 ヤレ、一つとさ、広い世界はどこまでも、なぞと、人情の知恵くらべ、かけてとくのがおもしろい。
 ヤレ、二つとさ、風呂屋のけんかとかけまして、すもとりのけんかととくわいな、裸でさわぐじゃないかいな。
 ヤレ、三つとさ、三つ子の夜這いとかけまして、石童丸と解くわいな、乳(父)を尋ねて、腹山(原山)登るじゃないかいな。
 ヤレ、四つとさ、よごれたふんどしとかけまして、いやな手紙と解くわいな、いやいやかく(書くく)ではないかいな。
 ヤレ、五つとさ、いがんだ材木とかけまして、郵便さんと解くわいな、走らにや(柱にゃ)ならんじゃないかいな。
 ヤレ、六つとさ、無理な姑とかけまして、英語の手紙と解くわいな、読めにくい(嫁憎い)じゃないかいな。
 ヤレ、七つとさ、夏の夕立ちとかけまして、金の鈴がらと解くわいな。降る鳴る(振る鳴る)光るじゃないかいな。
 ヤレ、八つとさ、破れた障子とかけまして、冬のうぐいすと解くわいな、アラ春(張る)を待つではないかいな。
 ヤレ、九つとさ、紺屋のお手間さんとかけまして、強い将棋と解くわいな、詰め手(爪手)が黒いじゃないかいな。
 ヤレ、一〇とさ、豆腐にかすがいとかけまして。空飛ぶ鳥と解くわいな、射つ(打つ)ことならんじゃないかいな。
 ヤレ、一一とさ、石のレンがくとかけまして、貧乏な床屋さんと解くわいな、櫛(串)に困るじゃないかいな。
 ヤレ、一二とさ、二隣のお客さんとかけまして、風船まりと解くわいな、空気(食う気)であがるじゃないかいな。
「踊り子」  「まずは太夫さん。おどりはこれまで」
「太 夫」  「ようできた御万才」
「踊り子」  「あとは急いで太夫殿から」
 前 ぶ れ(伊予節)
 伊予の松山、名物名所、三津の朝市道後の湯、音に名高かき五色そうめん、一六日の初桜、吉田さし桃、こかきつぼた、高井の里のていれぎや、紫井戸の片目鮒、うすずみ桜や緋のかぶら、チョイト伊予がすり。
 前 ぶ れ(竹予竹節)
 竹に節あり、枝にもふしぶし、端歌伊予節竹づくし、主は若竹、ひごろ寒竹、ぐちを言うのは女子竹、孟宗・淡竹の竹までも、義理をたてぬく男竹、雪折れ笹や黒竹、しめてねざさは、たなぼたのチョイト一や竹。