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久万町誌

六 未指定のもの

 以上のほかに、現在は指定されていないが、指定することによって、保存する価値のあるものが相当あると思われる。早く指定し、保存の方策をとらないと、跡かたもなくなってしまうおそれ、なきにしもあらずである。以下その二、三に触れておく。
 ○ 霜 夜 塚
 霜夜塚は、寛保三年(一七四三)一〇月一二日、芭蕉の五○回忌を記念して建立された。
 川端五雲の指導を受け、俳人として名をなしていた小倉志山が、当時菅生山の方丈であった斉秀和尚や久万山の俳句をたしなむ人々と図って、菅生山に建立された。
 菅生山の明治の大火で、その存在がわからなくなっていたものを、藤井周一が久万町の有志に呼びかけて、昭和七年(一九三二)八月八日、現在地に復興したものである。このとき、文字もほとんど消えていたが、今村完道住職が墨直しをしている。句碑の文字は、志山が書いたものか、斉秀和尚が書いたものか、このあたりのことはわからない。再びその存在が不明となることのないようにしたい。
 ○ 森田大師堂の俳額
 二名の森田にある大師堂は、四国巡拝の礼者が休息に使っていたものであろう。一間四方の小さなお堂だが、この中に嘉永二年(一八四九)に、竹内旦泉らによって奉納された俳額がある。約一間の長さのものに五〇の俳句が納められていたと思われるが、既に二五はなくなっている。
 ○ 上畑野川金刀比羅宮の俳額
 金刀比羅宮には三つの俳額がある。拝殿の正面と左右に掛けてある。向かって右側のものは、慶応二年(一八六六)に、耕月亭相原如江が撰をしたものである。正面のは、安政三年(一八五六)に、梅滴庵鶯居が撰をしたものである。向かって左側のは、桂廼舎羅翁が撰をしているが、いつごろ奉納されたものかは、それを書いた部分の板がないので不明である。いずれも畑野川農民俳句の質の高さを示す、貴重な資料である。
 また、これに伴う古文書類も、畑野川地城の旧家に相当あるものと思われる。
 ○ 掘り出し観音
 昭和九年(一九三四)五月七日に、菅生の山の中から掘り出されたものである。座高七㌢~一〇㌢の青銅メッキの金仏像八体である。
 上野尻の石田ソヨが、観音様のおつげを受け、大宝寺に連絡して掘り出されたもので、京都博物館の鑑定によると、約八〇〇年以前(平安後期一一七一)のものであろうということである。
 観音像は、約二〇平方㌢、厚さ一㌢ほどの平たい石、一〇〇個に法華経を書きつけたもので覆われていた。大きな仏像ではなくても、貴重なものだと思う。
 ○ 大宝寺の勅額
 後白河法皇の病気平癒の祈願をしたかどで、後白河法皇直筆の山号額を賜わっている。一一五八年ごろのものと思われる。
 ○ 天然記念物
 山草の中には、すでに絶滅に近いものもある。樹木でも、土地開発の波にのまれて、倒伐されようとしているものもあろう。いずれも久万の長い歴史の生き証人として大切にしていきたい。