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久万町誌

5 葉たばこ

 昭和二八年ごろより、葉たばこの耕作が始められ、昭和二九年には二〇町歩の作付けが専売公社から認められた。たばこは専売品であるところから、栽培農家も慎重に取扱い、厳重な指導で進められた。
 耕作面積も最初は一戸平均一〇㌃程度であったが、最近では一戸一〇〇㌃以上の耕作者もある。
 たばこ耕作は、農産物の輸入自由化が強まる一方、葉たばこの過剰在庫が一二・三か月分という厳しい状況に加えて耕作者の高齢化による廃作者が年々増加している。
 たばこ農家が生き残るために一段と足腰の強い産地づくりを目ざすとともに、外国製品に負けない高品質でコストの低いたばこづくりが課題となってきた。
 昭和五九年には、質の高い葉たばこづくりのために堆肥センターが必要となり、町において堆肥センター敷地を久万町下畑野川乙九七四番地に借地した。その時のたばこ農家四六戸、耕作面積は三九六三㌃であった。
 施設は堆肥舎一九九平方㍍、作業場、倉庫で七四、堆肥盤(コンクリート)三〇一、材料置場五一三平方㍍のものであった。総事業費三八六八万八〇〇〇円うち公社助成一四二二万五〇〇〇円、町補助八六一万二〇〇〇円、農協補助一九〇万六〇〇〇円、農家負担七六八万三〇〇〇円、借入金、その他で六二六万二〇〇〇円であった。
 耕作農家は、その後も減少し、共同乾燥による合理化対策の必要に迫られ、昭和六二年には葉たばこ大型乾燥施設を建設することになった。
 その年の耕作者は三二戸、耕作面積は二二七二㌃で久万町と美川村の耕作者が共同で建設するものであった。
 乾燥施設の規模は、乾燥室九室、一七八、作業場一棟二一一、管理室一室二七平方㍍のものであった。
 この施設建設の総事業費は五〇九〇万二〇〇〇円であったが、日本たばこ産業株式会社補助が二分の一の二五四五万一〇〇〇円、耕作面積に応じて久万町、美川村が五〇九万円を補助したが、受益者久万町一七戸、美川村一五戸も一五二一万七〇〇〇円を負担した。昭和六二年六月末には完成し、その年の葉たばこ乾燥が終了した一〇月二七日に関係者が集い落成を祝った。
 葉たばこは昭和二八年ごろから耕作が始まったが、その後三〇有余年に亘って換金作物の有望株であった。現在では耕作農家数は減少したが上浮穴でも大規模農家があり、耕作総面積は現状維持で推移している。

久万町タバコ耕作動向

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久万町たばこ耕作状況

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