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久万町誌

1 国道三七九号、三八〇号改良促進期成同盟会

 一般国道三八〇号、八幡浜市を起点として大洲市、内于町、小山町を経由して、久万町大字露峰で国道三三号線に合流する幹線道路である。
 当路線は、昭和四六年六月、松山、砥部内子線道路促進期成同盟会(内子町、小田町、広川村、松山市)また久万内子線道路促進期成同盟会(内子町、小田町、久万町)として発足し、両同盟会とも強力に推進を進めてきた。
 昭和四九年一一月一二日、双方の県道が国道昇格となり松山砥部内子線は、一般国道三七九号線、また久万内子線は、一般国道三八〇号線と名付けられ、建設省より所管土木事務所に移管され、同年より国道としての改良工事が始まった。
 この国道昇格と同時に、二つの同盟会が結集して国道三七九号、三八〇号改良促進期成同盟会を発足し関係町村は沿線の、内子町、小田町、久万町、砥部町の四か町村とし会長に小田町長、林興一郎がなる。
 当路線も、国道昇格と同時昭和四九年度より、一般国道三八〇号線露峰工区を設定して着工に乗り出した。昭和四九年度~昭和六三年度の一五年間で延長四六二二㍍の改良、改修工事を行った。最初は橋詰地区の整備に入り、農村総合整備モデル事業による補助整備、これに合わせ国道また河川改修を同時施工し、橋詰地区の基盤を総括整備した。また落合より、橋詰まで七か所の橋梁整備をして、路線の線形修正また、距離の短縮が大きく出来た。前回にのべているように、故亀岡重太郎氏の功績の跡は後世へ伝えられることだろう。また父野川工区については、昭和五六年度着工~昭和六二年度完了延長二〇〇㍍で、内真弓トンネル延長七一〇㍍、道路整備については、旧道を形取り線形修正とし真弓トンネルについては、久万町と小田町境の真弓峠を越える在来道路は幅員が狭くカーブの連続、冬季には積雪、凍結により交道が阻まれるなど難所となっていたが、このトンネルが完成して距離が二、五キロ短縮されると同時に、冬季の難関解消と共に、年間を通して円滑で快適な道行が確保され地域産業経済文化の振興に大きく寄与した。
 終り父野川工区延長二〇八㍍についても平成元年度より着工したので数年後には、落合より小田町境真弓トンネルまでの全面改修となり、一般国道三八○号線も久万町側は完成する。
 今後国道三七九号、三八〇号線改良促進期成同盟会も、内子町より小田町の未改修部分を一日も早く着工し、全線の改修を望み、上部機関への請願、陳情を続けて行く所存である。