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久万町誌

2 合併二〇年の歩み

  ア 久万町企画審議会での政策審議
 合併以来進められてきた町政の実績の評価と新しい方向について、できる限り具体的な意見を提示する目的で、昭和四五年、久万町企画審議会が設置された。
 座長に愛媛大学農学部助教授の岩谷三四郎を選び、関係団体の代表者一七名によって審議を重ね提言をまとめた。
 その提言のあらましは次の通りである。
 ① 町政は久万町における都市機能の充実を重点課題とせよ。
   ここにいう都市機能とは、久万町を都市にせよというのではなく、農山村地域としての久万町の特有の風土条件は充分活かしつつ、都市に負けない豊かな近代的生活の可能な態勢を整えることを指している。
   そのため、交通・情報・医療・衛生・社会福祉などを飛躍的に充実していく必要がある。
 ② 新しい郷土づくりのアイディアを町民全体の中からくみ出す推進役となれ。
   特に少数とはいえ現在、久万町内にとどまっている若い世代か町発展のための新しい担い手となりうるための社会的環境を具体的に作り出していくべきである。
 ③ 住民みずからによる新しい郷土づくり運動を組織せよ。
   これは単に社会教育を担当する教育委員会のみの課題としてではなく、町役場全体の共通課題として、この組織化にとり組むべきである。
 以上の基本的な視点に立って、具体的な提言を行った。
 中・長期対策としては、①町内土地利用将来構想図の策定 ②久万町民デーの設定 ③特性をもったレクリェーションゾーンの建設 ④商店街と国道との連絡道路の新設 ⑤集落組織の再編成 ⑥水資源の確保また、短期対策としては①総合グランドの建設 ②自然環境保護条例の制定 ③後継者の育成 ④商店街の駐車場の新設 ⑤新しい産業分野の開発 ⑥老人の生きがい対策であった。
 これらの提言は町政の中に生かされ以後、その実現に向けた諸政策が展開されることとなる。
  イ 久万町振興計画の樹立
 昭和四七年、地方自治法にもとづく久万町の総合的、計画的な行政運営をねらいとした基本構想が議決され、久万町の将来構想が樹てられた。
 基本構想樹立にあたって町長日野泰は「わが国の高度経済成長は、GNPが自由諸国で第二位となり、西ドイツと並んで国際社会においても驚異の的になっている。確かに戦後の荒廃から今日を比較してみると、社会公共資本、技術革新、あるいは身近な生活内容をみても、まさに飛躍的な発展が認められるが、その反面、農山漁村の過疎、都市における過密問題、さらには公害、自然破壊などのひずみを生じてきている。
 加えて、最近は有限な地球上の資源枯渇の問題、世界各地でエコノミックアニマルと評される日本人の精神構造の根底にふれる批判など、わが国の高度経済成長は転換期を迎えており、困難な時代にさしかかっている。
 久万町の場合、第一次産業である農林業が産業構造の主体であるだけに、このひずみもまともにかぶった地域となり、いわゆる過疎地帯としてさまざまな問題を生じてきたようである。
 この時にあたり、将来における久万町のあるべき姿を地方自治の観点から予測し、総合的な施策を計画的に推進するために、久万町振興一〇か年計画を樹立することとした。」と述べている。
 振興計画は、久万町の望ましい将来像を描き、これを達成するために必要な施策の大綱と、各部門ごとの根幹事業の計画、さらには実施年次計画を細かく定めたものである。
 久万町の将来像は次の通りである。
 一、働きがいのある町づくり
   農林業と商工業及び自然休養村的観光開発が地域の自然環境と調和しつつ有機的関連において町民所得の増大と福祉の向上に役立つよう努める。
 二、住みよい町づくり
   道路・水道・下水道・し尿・じん芥・不燃物処理など住民生活の基礎となる社会資本を充実し、医療・保健・社会福祉施設・防火施  設・公園・広場など生活環境を整備し、清潔で健康な住みよい町を創造する。
 三、香り高い文化の町づくり
   保育園・幼稚園・小学校の適正配置による施設整備を行うと共に、成人教育・社会教育の施設を充実し、史蹟・文化財の保護に努め美術・芸術・音楽など住民の情操を豊かにし、香り高い文化を創造する。
 これら三点の町政の目標を実現していくため、施策の基本方針を定めたが、何しろ、当時は、高度経済成長が曲り角にあり、資源問題が世界的な課題になりつつあった時期だけに、久万町振興計画も、それに即応して計画修正もあり得るという先行きの読みずらい時代であった。
 しかし、それだけに、町政一〇か年計画は非常に貴重な指針でもあった。施策の基本方針と委員名簿は次の通りである。
  ウ 各種事業の執行状況
   ① 過疎振興対策事業
 昭和三〇年代後半から、経済の高度成長に伴う農山村から都市への激しい人口流出は、都市に過密を、農山村に過疎を生み出し、深刻な社会問題となった。
 過密と同時に過疎対策が行政の重要課題の一つとなったのである。このため国は昭和四五年、財政的な特別措置を柱とする過疎地域対策緊急措置法を制定し、全国で約三分の一の一〇九三の市町村がその指定を受け、過疎対策事業を実施した。
 久万町では昭和四五年五月一日に地域指定を受け、道路網と生産基盤の整備を重点的に行ってきている。昭和四五~五二年度の八年間の事業費は三八億二〇〇〇万円で、地方交付税で元利補給のある低利の政府資金で賄われてきた。
   ② 都市計画とその事業
 昭和四九年一二月に、中の村・槙谷を除く旧久万町が都市計画区域の指定を受けた。
 久万町が指定を受けたねらいは、久万町振興計画にもとづいて公園、道路、下水道などの都市施設の整備を積極的に図り、田園都市的な形態と機能をもつ区域づくりをめざすことであった。
 久万町での都市計画をどのように進めればよいか、専門家の知恵を借りることとなった。
 松山商科大学の中川公一郎、宮崎満両教授と山口卓志助教授が、おおよそ一年間を費やして定住基盤、土地利用と都市機能、農林業、農村工業、商店街の再編成、観光とレクリェーション開発、行財政のテーマについて、その現況と課題を調査した。町ではそれらの提言を参考としつつ事業へ着手していく。最初の事業は、運動施設を主体とした久万公園(大字菅生東国)の整備であった。
 昭和五二年秋、陸上自衛隊への委託事業として約四㌶の粗造成を完了し、本格施工の受け皿づくりとしたのである。
   ③ 行政の広域化
 わが国の経済成長に伴い都市はもとより農山村においても住民の生活水準は急速に高まりをみせたが、その基底となったのは、めざましい技術革新であろう。また、交通・通信手段の発達も著しく、特に自動車の普及は目を見張るものがあった。
 これらは住民の生活を高めるとともに、従来の市町村という行政区域を超えた空間で住民生活が営まれるという生活領域の広域化をもたらした。
 国は、昭和四五年、自治事務次官通達によって広域市町村圏振興措置要綱を示し、関係市町村の広域的な振興計画の策定を促したのである。
 愛媛県においては、県内を六つの圏域に分けてその積極的な推進を図ることとなり、久万町は昭和四七年二月結成された松山地区広域市町村圏協議会の一員として、他市町村に先駆けて一次圏域である上浮穴郡の広域行政に着手したのである。
 昭和四八年二月に統合準備委員会を開催して準備を進め、同年四月に、従前組織されていた上浮穴郡統合伝染病棟組合、久万地方清掃事務組合、上浮穴養護老人ホーム組合、上浮穴郡町村財産管理組合を解散して統合し、上浮穴郡生活環境事務組合が誕生したのである。職員数一八名、組合長は久万町長日野泰であった。以後、この組合は、上浮穴郡内五町村の特定行政事務を共同処理する組織として大きく発展していくこととなる。
   ④ 峠御堂隧道の完成
 昭和四九年一一月、久万と畑野川を結ぶ主要地方道西条久万線の峠御堂トンネルが完成する。
 工事に延一三年間の長期を要し、取付道延長三二〇〇㍍、トンネル延長六二三㍍、幅員はいずれも六・五㍍で総工費は五億八五〇〇万円であった。
 従前、中の村廻り九三〇〇㍍を自動車で一八分かかっていたのが、このトンネルのおかげで三八〇〇㍍の距離となり、所要時間も六分と三分の一に短縮され、生活の利便性、物質流通、観光開発などに大きな福音をもたらすこととなった。
   ⑤ 国民宿舎の建設
 高度経済成長は国民所得の増大などに寄与した反面、公害に代表されるような生活環境のひずみを都市にもたらした。これらの都市側のニーズを農山漁村の自然とか生産とかくらしなどと結び、新しい産業形成をねらった自然休養村事業が、昭和四七年に農林水産省から提唱され、久万町も全国二〇〇か所の一つに指定される。
 国民宿舎は、久万町が長年あたためていた内発的な振興計画の一つを自然休養村という構想の関連的な施設として位置づけて建設したものである。昭和四八・四九年度の建設途上、石油パニックに出合い、不足がちな資材と資金の調達を克服しながら、鉄筋三階建二、二四九平方㍍、一一六名を収容する国民宿舎「古岩屋荘」を建設したのである。
   ⑥ 民活ーゴルフ場の建設
 久万町での民間の本格的な観光産業の草分けとなったのは、二つのゴルフ場であろう。
 愛媛ハイランドゴルフ場は、昭和四七年に用地買収に着手し、造成、建築工事を進めて同五〇年七月に一八ホールズの規模で正式オープンした。一九八二㍍の石鎚山を眺望しながらのプレーは好評のようである。
 久万カントリーゴルフ場は、昭和四八年に用地買収と造成工事を進め、同四九年八月に一八ホールズでオープンした。
 テニスコート二面のほか、子供用プールを備え、分譲別荘も有しており、同六三年にはロッジ、チャペルも整備する。
 昭和五〇年代後半に、国、地方を通じ財政債務問題が捨てておけない状況となり、行政も減量経営を余儀なくされたが、併せて浮上したのは民間活力の導入という誘導施策であった。
 このことを考えると、久万町の二つのゴルフ場建設は、数歩先んじた民活事業であり、ゴルフ場建設と同時期に立案された国民宿舎、自然休養村など地方公共団体として本格的には初めて手を染める観光事業が、官民両側から構築されていくこととなり、その相乗効果は大きいものになっていくのである。

久万町企画審議会の委員名簿

久万町企画審議会の委員名簿


久万町振興計画の基本方針

久万町振興計画の基本方針


久万町振興計画の委員名簿

久万町振興計画の委員名簿