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久万町誌

三 国の選挙

 衆議院議員選挙は明治一四年「国会開設に関する大詔」が煥発されてから九年目、つまり、明治二三年七月一日に第一回総選挙が実施された。むろん制限選挙であって、選挙権者は年齢満二五歳以上の男子で、しかも直接国税一五円以上を納めているものに限られていた。
 当時、米一升六銭というころなので、一五円の直接国税を納める者は、よほどの所得をもっていなければならなかった。
 表にあるように総人口の一・一三%しか有権者がなかった。
 第二回は未曽有の政府大干渉となった選挙で、警察官自ら「だれに投念願がかなって男子による普通選挙制が確立、昭和三年二月二〇日第一六回総選挙が行われた。これがまた第二同総選挙と同じく官憲の権力を悪用した選挙になり、選挙の干渉と圧迫が加えられた。野党に対しては言論や文書戦を極端に抑圧し、与党に対してはすこぶる寛大な態度を示した。官憲は与党の買収さえ黙認するありさまであった。
 その後、昭和二一年四月一〇日の第二二回の総選挙から現在のように女性をまじえた普通選挙が行われるようになった。
 貴族院議員第一回選挙は衆議院議員選挙より二〇日前に行われた。
 貴族院議員の構成は、皇族・華族・勅選・多額納税者によってなされていた。皇族は成人男子全員が議員・華族の内、公爵と侯爵は全員・伯爵・子爵・男爵は互選により三分の一を選出し、更に勅選識員・多額納税者議員というのがあり、合計二七六名が決定された。当時愛媛県では多額納税者一五名で一名の議員を選出した。

衆議院議員総選挙有権者数調(全国)

衆議院議員総選挙有権者数調(全国)