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久万町誌

2 戦 後

 戦後のわが国は、民主政治の確立が最大目標とされ、これと表裏一体をなすものとして地方自治の強化が図られることとなる。
 地方自治法の制定を柱にして、学校教育六・三制の実施、自治体警察の創設など重要な制度改正が行われ、地方公共団体は重い責務を負わされるが、これに対する財源措置は非常に不十分で財政的には破綻に瀕した状況であったといわれる。
 税制面でも七割以上が標準税率を超えて課税し、二〇〇〇の地方団体が百数十種類に及ぶ法定外の税目を設定するなど地方税制そのものが破綻していた状況であった。
 このような状況を憂慮した占領軍は、昭和二四年にアメリカ合衆国のコロンビア大学シャウプ博士を団長とする使節団を招いて、わが国の税財政制度全般にわたる調査を実施し、その改革案を勧告した。
 このシャウプ勧告を受けて行われたのが昭和二五年の税制改正であり、今日の地方税制度の基礎となっている。
 その改正の主なねらいは、戦後の民主政治のもとにおける地方自治の伸長のために、地方団体の財源を豊かにするとともにこの財源を自らの責任において確保すること、地方税の負担の合理化及び均衡化を図ることの二点であった。
 市町村税として、普通税では、市町村民税、固定資産税、自転車税、荷車税、電気ガス税、鉱産税、木材引取税、広告税、入場税、接客人税、法定外流通税が、目的税では、水利地益税、共同施設税が定められた。
 更に、昭和二九年には、国に地方制度調査会と税制調査会が新しく設けられ、両調査会の答申に基づいて税政、財政の改正が行われた。
 改正の骨子は、シャウプ勧告をわが国の実情に添ったものに改正したもので市町村税では、たばこ消費税、国民健康保険税が新設された。
 また、地方団体の必要最小限の財源を保障する制度として昭和二五年に地方財政平衡交付金制度が設けられていたが、より安定した財政調整制度とするために改正が行われ、昭和二九年から地方交付税として発足することとなった。
 以後、社会、経済、などの動向に伴い、地方税法の改正も順次、行われてきた。なかでも、平成元年四月一日から施行された消費税と、関連する所得減税など国税・地方税の改正は、昭和二五年のシャウプ税制以来の抜本的改正であった。地方税のうち、町県民税については、税率構造の緩和、所得控除の引き上げなどの減税措置が講じられたほか、木材引取税、電気ガス税が昭和六三年度限りで廃止され、その補填財源として消費税が創設されるなど、その改正は多岐にわたる大幅なものであった。