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久万町誌

2 統合伝染病棟の火災・新築

 昭和四〇年六月、久万小学校児童より赤痢患者が発生し多くの患者を隔離収容していた。同一三日午前零時一〇分ごろ、消毒釜の過熱から、火災をおこし病棟が全焼した。管理者、看護婦の適切な措置によって、さいわい一人の負傷者もなく、患者は久万町立野尻公民館及び、旧厚生病院の両施設に分散収容することができた。同年一二月には、旧焼跡に臨時の隔離病舎を建設したが、病室は四畳半、三室の小さいものであり、名実ともに臨時病舎であった。
 昭和四一年には、隔離病舎計画がはじまった。その計画表によると、久万町立病院敷地内に建設することになり、各町村の分担金計画もできた。次頁の表の計画書にょって昭和四一年八月三一日、松山市岡崎工務店による請負が成立して、ただちに着工し、昭和四二年春、鉄筋コンクリート造り、建坪三九六平方メートル、一部二階建ての病舎が完成した。その後、昭和四八年四月一日上浮穴郡生活環境事務組合の設立と同時に組合に編入し、同組合において運営され現在に至っている。

昭和41年度隔離病棟新築計画書

昭和41年度隔離病棟新築計画書