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久万町誌

1 久万簡易水道

 当町における簡易水道事業は、昭和二七年に始まる。昭和二一年の南海大地震の影響で、町内の地下水に変動がおこり、地域によっては井戸水が使用不能に近い状態となった。そこで昭和二七年度に計画給水人口一五〇〇人を対象に国庫補助事業として、一人一日六〇㍑、給水能力一日当たり九〇㌧の浄水施設を住安町に建設し、久万川の河川水をポンプで揚水し、昭和二九年四月より給水を開始した。 文化水準の向上にともない、全町的に水道施設を要望する声が高まり、明神、入野、久万、野尻、菅生を含めた久万川水域の住民を対象に、昭和三七、三八年度の継続事業で、久万上流の唐子谷川に水源を求め、計画給水人口四八六〇人、一人一日最大給水量一五〇㍑、消火水量三〇㌧、給水能力一日九〇六㌧の浄水施設を建設し、自然流下方式により、昭和三九年四月より給水を開始して、久万地域の生活用水、防火用水を碓保したのである。
 ところで住民の生活水準が向上するにつれ使用水量が増加してこの施設でも夏季などは住民の需要を満たすことができなくなった。
 そこで昭和四八年、下野尻馬酔谷に水源を確保し、四か年継続事業で、一日給水能力六八一㌧の施設を増設し、ポンプ揚水により給水し、久万地区の生活用水を補充している。
 昭和五八年ごろより国道の埋設管が老朽化により破損が多発し、たびたびの断水により住民に不便をきたすこととなった。そこで、昭和六二年度に延長二五五四㍍、事業費六四〇八万二〇〇〇円で改良工事を行った。