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久万町誌

5 父二峰地区

 父二峰小学校 露峰簡易小学校は、現久万町大字露峰字中村の鈴木宇一郎宅の裏の小高い所にあった。五間と七間のわらぶきで、障子戸の一教室と八畳と三畳の居間及び炊事場が付属していた。この建物は明治四○年の学校統合まで使用され、その後現西ノ川川崎竹美の住宅として建てかえられたそうである。
 同二五年、露峰簡易小学校は露峰尋常小学校と改称された。教員は一名で喜多郡出身の川村友時が教鞭をとっていた。彼は妻子もなく、士族の出身で剣道をよく教えた。その後、後任として大西峯次郎が着任した。松山出身であったが妻は若宮の人で、若宮より通勤した。今もその墓が若宮にある。
 校区は、橋詰、中村、西ノ川、若宮、落合の各小字であり、児童数は五○名程度で、女子は極めて少なく、尋常科四年制の単級であった。
 父野川簡易小学校では、父野川大久保の庄屋大野茂雄が自宅で教授したということである。明治二〇年ごろ、学校は、現在の父野川公民館のある所に、二間半と三間の教室一室と、二間と二間半の真中に一間半四角の大きな「いろり」のある集会所と、それに続いて教員住宅である一〇畳の居間と、一間半の炊事場に茶の間をつけたものが一棟として建てられていた。わらぶき、障子張りの学校であった。初代の教員は大野政行、二代小坂部安盛、三代金本、四代高須賀と短期間に教員がかわっている。
 校区は父野川字馬の地と大久保で、当時六〇戸の児童が通学し、児童数三〇余名、内女子一○名程度で、尋常科四年制の単級であった。この二五年には父野川簡易小学校も父野川尋常小学校と改称された。
 同四〇年四月、父野川・露峰・二名の三地域の尋常小学校を合併、高等科は久万組合より分離して、父二峰尋常高等小学校となった。二名尋常小学校は父二峰尋常高等小学校二名分校となった。
 同年五月、新校舎が落成した。新校舎は五間に二〇間で、付属建物には教員住宅と便所などがあった。
 同年一二月、落合分教場を完成し、分校として、尋常科第一・二学年の児童を教授することとした。
 大正二年三月、新校舎が完成した。当時は本校四学級・二名分校二学級・落合分校一学級であった。
 同一五年四月、校庭の一部を拡張した。
 同年、二名分校の運動場を拡張した。
 昭和一五年四月、紀元二六〇〇年、教育勅語渙発五○年記念として、五町歩に二万本を植樹し、学有林とした。
 同一六年四月、国民学校令が公布され、父二峰国民学校と改称された。
 同二一年一一月、新校舎が落成し移転した。
 同二二年四月、六・三制が実施され、父二峰小学校と改称された。
 同二五年四月、二名分校が分離独立して、二名小学校となった。
 同二八年一二月、落合分校の校舎が落成した。
 同三〇年一〇月、小学校の独立校舎が新築落成した。
 同三四年四月、父二峰小中学校給食室竣工。五月より、完全給食を実施することとなった。
 同三七年四月より、落合分校を廃校にし、落合の児童は久万小学校に通学することとなった。
 同三九年二月二五日、父二峰小中学校兼用屋内運動場が竣工し、落成式を挙行した。
 同四〇年六月、文部省学力テストを実施した。
 同四〇年六月、理科観察池を新設した。
 同四一年五月、交通安全良好により、郡交安協会より表彰された。
 同四一年一一月、体育館への渡り廊下が完成した。
 同四一年一一月、体青館前築山及び池が完成した。(PTAによる)
 同四二年八月、文部省会計監査官の会計監査を受けた。
 同四三年一一月、理科室の改修整備をした。
 同四五年八月、プールが完成した。
 同四六年一月、無人化にするための工事が完了した。
 同四六年一〇月、町内小学校体育大会で陸上が総合優勝した。 
 同四七年一〇月、町内小学校体育大会で陸上・球技とも総合優勝した。
 同四八年三月、体育倉庫を設置した。
 同五〇年二月、「根」の碑の除幕式をした。
 同五○年一〇月、校歌を制定した。
 同五○年一〇月、町内小学校体育大会でポートボール優勝
 同五二年一一月、校歌と校章ができた。
 同五三年七月、トリムが完成した。
 同五五年七月、教育後援会を結成した。
 同五六年一一月、地区別地域懇談会(回和教)が始まる。
 同五七年一一月、二名小学校と協同学習が始まる。
 同五七年一一月、児童の自転車検定始まる。
 同五九年一〇月、久万小学校と協同学習をする。
 同六〇年三月、県教委より、一万点運動優秀校の賞を受ける。
 同六一年七月、町内水泳大会、男、自由型メドレーリレー優勝。
 同六一年八月、家庭科調理室の補修工事完了。
 同六一年一〇月、町内体育大会、男、四〇〇米リレー優勝。
 同六二年七月、町内水泳大会、男、自由型メドレーリレー優勝。
 同六二年九月、正門付近の舗装工事の完了。
 同六三年三月、県教委より、一万点運動優秀校の賞を受ける。
 同六三年七月、町内水泳大会、男、自由型メドレーリレー優勝。
 平成元年二月、町なわとび大会、小学校の部で優勝。四八一回は、新記録であった。
 平成元年三月、町駅伝大会、小学校の部で女子が優勝。
 二名小学校 明治七年(一八七四)、二名永仁寺境内の隅にあった土蔵を修繕し、教室として、簡易小学校を開設した。
 同一六年、こたつの火の失火により焼失した。時の教員は三浦音四郎である。このため東条に草ぶきの家を求めて校舎とし教授した。
 同四〇年四月より、父二峰尋常高等小学校二名分教場となり、尋常科第四学年までを収容した。同四四年四月より、尋常科第五・六学年を加え、二学級を編成した。
 大正二年一月一日、二名字黒沢組に新校舎を新築し移転した。同年四月より、徳好・永久両地域の児童は父二峰小学校に通学することとなった。同七年四月より、三学級編成とした。
 同一五年、運動場拡張工事を行い、一一月に完了した。工費三八〇円である。
 昭和八年四月、校舎を改築。
 同一〇年、事務室を増築。
 同一四年、裁縫室を増築した。
 同二五年四月、父二峰小学校二名分校を廃止し、二名小学校として独立した。
 同年四月二〇日、父二峰中学校・二名小学校を増築、公民館落成と合わせて式典を挙行した。
 総工費八、四九五、〇〇〇円、普通教室六教室、特別教室五室
 同三三年四月二三日、運動場整地を完了。
 同年六月九日、ジャングルジム・鉄棒・ぶらんこ等の施設が完了した。
 同三四年四月より学校給食を開始した。同年一二月、講堂修理が完了した。
 同四一年五月、保育所を新築竣工した。
 同四三年一二月、プールが完成した。校旗を制定した。
 同四四年一一月、校歌を制定した。運動場に照明灯(六灯)を設置した。
 同四七年二月、運動場周囲金網及び焼却炉を設置した。同年一二月、本校における調理給食廃止、給食センターによる給食を開始した。
 同四八年四月、初めて複式学級ができる。同年六月、日宿直を廃止し無人化となった。
 同五三年五月、体育庫を新設した。
 同五五年四月、完全複式の三クラス編成となった。
 同五九年九月、保育所を移転した。
 同年一二月、体育館が落成した。
 同六〇年四月、父二峰小学校、久万小学校との協同学習を実施した。
 同六二年八月、家庭科室を設置した。
 同六三年一二月、体育館附属体育庫を設置した。

父二峰小学校学級編成沿革

父二峰小学校学級編成沿革


二名小学校学級編成沿革

二名小学校学級編成沿革