データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

2 学校教育の充実 ①

  ア 教育課程
 新学制の発足に伴って、国は教育の最低基準を示すために教育課程を作成した。地方の管理機関や学校が、それぞれ必要に応じて、具体的に教科課程を編成することのできるゆとりを大幅に認めたものであった。昭和二二年五月に公布された学校教育法施行規則には、
  第二四条 小学校の教科は、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育及び自由研究を基準とする。
  第五三条 中学校の教科は、これを必修教科と選択教科に分ける。
  第五四条 必修教科は、国語、社会、数学、理科、音楽、図画工作、体育及び職業を基準とし、選択教科は外国語、習字、職業及び自由研究を基準とする。
など教科の基準だけを示し、その週当たり時間数配当など教科課程の具体的事項は、学習指導要領の基準によることとなった。同二二年三月、学習指導要領一般編及び教科編が発行された。学習指導要領では、歴史及び地理が廃止され、社会が設けられ、また、家庭科・自由研究が課程化された。その後、中間的修正を経て同二六年、改定がなされ、教科についての時間配当は、四つの領域にくくって、その割合を比率で示し、それぞれの学校での弾力的な指導が可能になった。また、自由研究は発展的に解消され、教科以外の活動が加えられた。
 更に同三三年にも全面的に改定され、その基本方針は、
  ・道徳教育を徹底すること。
  ・基礎学力を充実すること。
  ・科学技術教青の向上を図ること。
  ・地理・歴史教育を改善、充実すること。
  ・情操の陶冶、身体の健康安全の指導を充実すること。
  ・中学校において、生徒の進路、特性に応ずる教育を徹底すること。
  ・小・中学校の教育内容について、義務教育としての一貫性をもたせるようにすること。
 等であり、国際社会の一員としての自覚を持った国民の育成へと内容が変わり、「道徳」が特設され、教育課程の構造及び法的性格が明らかにされた。すなわち、学習指導要領が文部大臣の告示により教育課程の基準となるものとして法体系が整備され、義務教育の水準の維持が図られることとなった。同四三年の改定では、国際社会の指導的役割を果たす国民の育成という観点で、調和と統一のある人間形成、そのための教育課程も同じく調和と統一のあるものとして強調された。そして、基準時数が標準時数に改められ、学校の創意と弾力的運用が大きく期待されるとともに教育課程の領域・内容がいっそう明確になった。
 今回の改定では、知・徳・体の調和のとれた人間性豊かな児童生徒の育成。基礎的・基本的事項を確実に身につけさせる。学校生活をゆとりのある、しかも充実したものにする。という基本方針により、自ら考え、正しく判断できる自主的な人間形成に重点がかけられ、標準時数の削減や内容の精選が行われ、学校の創意工夫が大きく期待されるようになった。このように学校が編成する教育課程は、その時点で将来を見通し、目的・目標を明らかにして編成されなければならないものである。
 教科書については、国定教科書制度は廃止され、検定に合格したものの中から市町村教育委員会が採択し、その採択した教科書の中から、各学校長が選定して採用することとなった。
 その結果、地域により採択教科書が著しく変わるため不便が多かったが、昭和三八年、教科用図書の無償措置に関する法律の施行に伴い、教科書も採択地区が設定され、五教育事務所単位に統一して採択し、使用されるようになった。
  イ 学習指導
 戦前は国定教科書に忠実に従い、主として教師中心で教授されていたが、昭和二二年版の学習指導要領では「教師がひとりよがりにしゃべりたてればそれでよろしいと考えたり、教師が教えさえすれば、それが指導だ、と考えるような、教師中心の考え方は、この際すっかり拾ててしまわなければなるまい。」と明言し、「児童や青年は、現在ならびに将来の生活の力となるようなことを学ばなくてはならない。」から「第一にまず学ぶのは児童だということ」を念頭に置き、「第二に児童や青年をそういうふうに学ばせていくには、かれらがほんとうに学んでいく道筋に従って、学習の指導を適切にしなくてはならない。」と述べている。
 この児童中心の方針に従って、単元学習が近代的民主教育の目標に最も適合する方法として認められ、自発性、興味、生活経験等が尊重されるようになった。グループ学習、討議法等が盛んになり、児童が課題を発見、調査研究し、話し合いがなされ、低学年では「ごっこ遊び」などが盛んに採り入れられた。
 この方向は極めて民主的、近代的な方向ではあるが、急激なる改革であり、そのために教師の研究や準備が不十分になりやすく、時間と労力を空費し、学習が皮相的になり、基礎学力が低下したとの反省がなされるようになった。
 平和国家として国際競争力を高めるためには、人間の能力を開発し、人材発掘が第一であるとの観点から、昭和三〇年前後より、基礎学力の向上が叫ばれ、教育内容及び、学習指導法にも反省がなされるようになった。これまでの生活経験を重視した学習指導に対して、学問体系に従って学習指導を進める系統的学習が重視されるようになり、反復練習とかドリルが重視されることとなった。
 その結果、文部省全国学力テストにおいて本県は全国第一、二位の成績を示し、久万町内の各小中学校も相当高いレベルに達することができた。
 しかし、系統的学習やドリルの重視は教師中心にかえることではない。児童、生徒の自発性を尊重し、求める心をゆさぶることは学力を向上するためにも基本的に重要なことである。本県が全人教育を徹底し、自主創造の教育を基本目標として努力していることは学力の高度安定からも大切なことである。
 昭和六三年度には一一年ぶりに学習指導要領の改定の骨子(素案)を発表した。これは、個性と道徳教育を重視した六二年来の教育課程審議会答申を具体的に肉づけしたものである。中学校での選択履習の拡大など「弾力化」を進める一方、道徳教育の徹底を図るために年間指導計画の作成を義務づけている。小中学校は今後さらに具体化され、幼稚園の新教育要領とともに告示される。六四年度から移行措置に入り、小学校は六七年度から、中学校は六八年度から全面実施されることになっている。
 久万町は国道三三号線の整備とともに都市近郊町村として進学率も逐次高まっていく傾向にあり、学力の向上は大切なことである。
 久万町内中学校における戦後の進学、就職、家事従事者の状況は七一六~七一九頁の表のとおりである。
 学習指導上重要なことは施設・設備の充実であるが、屋内運動場・水泳プール・老朽校舎の改築等年次計画によって施行されている。特に六三年、木造校舎が畑野川小学校に建築された。設備についても、パソコンの設置など鋭意努力している。
 今後、久万町の重要問題は、児童生徒の減少に伴っての学校の小規模化である。学校統合についても研究し、実施すべき時期に来ている。
  ウ 道徳教育
 昭和二〇年一二月、連合軍総司令部は「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」の指令を発し、道徳教育の中枢的位置をもつ修身科の授業を停止した。
 戦後、道徳教育は全教育課程の中で行うとともに、特に新教科として生まれた社会科の中で行うことになった。社会科で道徳的判断や心情を養ったり、単なる知識のみでなく、物事を地理的観点や歴史的観点などから考察して、自他の生活のあり方を総合的に学習したりすることとなった。しかし、教育の実態は必ずしも道徳教育について、十分の成果をあげることができなかった。戦後の国民の道徳生活の混乱から道徳教育を更に徹底強化する必要があり、文部省は昭和二六年二月、「道徳教育振興方策」を、四月に「道徳教育のための手びき書要綱」を示し、道徳教育のための教科は特設せず、学校教育全体の中で周到な計画のもとに一貫した道徳教育を行うよう指針を打ち出した。
 昭和三〇年には、社会科のみの改定で道徳教育に対する社会科の役割が一層明確になった。
 同三三年八月、第二回の学習指導要領改定で、社会科をはじめ各教科その他教育活動の全体を通して行うという方針は変更しないが、新たに道徳教育のため時間を週一時間特設することとなった。
 その後、道徳教育資料書、生活指導の手びき等が発行され、それにもとづいて、各校では指導に力を入れている。
 新学習指導要領では道徳教育の見直しが強調され、徳育重視の臨時教育審議会の答申もあって注目されている。特に、情報化、国際化、価値観の多様化、核家族化、高齢化などの社会の急速かつ多岐にわたる変化が児童の生活や意識に大きな影響を及ぼしている現実に対して、新たな対応・指導が必要になってきている。また、三〇年以来の道徳教育を充実改善に努める必要がある。
 全教育活助を通しての道徳教育、なかでも基本的行動様式の指導に関しては「もっと温かく、もっときびしく」という意見が多い。このことは、もっと子供を信頼し、受容し、子どもとともに歩みながらも、人間としてより望ましい在り方を求め、深めていけるように援助すること。更に、人間らしい在り方に反する行動に対しては、きびしく諭すような指導することを求めているからだと考えられる。
 昭和三八年に文部省は、道徳教育への理解と一層の充実を図るべく、教育課程審議会に諮問し、「学校における道徳教育の充実方策について」の答申を得た。さらに昭和四一年に中央教育審議会が「期待される人間像」を答申した。
 昭和四三年の第三回の改定では、道徳教育の目標を「教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基づく。すなわち、道徳教育は、人間尊重の精神を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会および国家の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目的とする」と設定した。
 昭和五二年の改定の時も前回と同じ表現になっている。
 昭和六二年一二月、教育課程の基準の改善についての答申においては、豊かな体験・内面に根ざした指導が重視されている。
 久万町でも、交通が便利になるとともに都市化の風潮がますます盛んになっている現在、学校教育、社会教育一体となり、家庭、社会、学校の一貫した方針のもとに更に道徳教育の徹底強化に努力し、正しい価値観を持って行動するよう指導することが必要となってきた。
  エ 健康安全教育
 戦前の我が国の青少年の体位は欧米のそれと比較して劣っていたが、戦時中や戦後の食糧不足により更に体位を低下させた。その上、精神的健康までも失われがちになった。そこで教育関係者はすみやかにその対策を講じる必要にせまられた。
 昭和二二年一月からアメリカの援助物資、乾燥脱脂ミルクによる学校給食が全国的に開始された。その後久万町では、婦人会、PTA等の学校給食実施についての切なる要望により、全町的に完全給食が実施されることとなった。
  明   神小学校 昭和三二年一一月
  久   万小学校 同 三三年一一月
  直 瀬小・中学校 同 三四年 三月
  畑野川小・中学校 同 三四年 三月
  二   名小学校 同 三四年 四月
  父二峰小中学校  同 三四年 五月
  久   万中学校 同 三五年 九月
 完全給食には、体位の向上のみでなく、家庭の食生活の改善、栄養知識の普及徹底、学校においての人間関係の確立、食事についての躾の徹底等、その他にも効果大なるものがある。
 昭和四〇年度より学校栄養職員が配置され、全町内の学校給食の改善に効果をあげた。
 昭和四七年、久万町入野に久万町学校給食センターが設置され、運搬車によって各校へ配達されることになった。センターの設置により給食内容が一段と改善された。
 昭和六三年より他の市町村に先駆け、完全米飯給食実施となった。
 久万町は体力づくりの町として、社会体育も活発に行われ、参加人口はだんだん増加してきている。この方面にも努力するとともに、学校教育においても指導方法の工夫改善が大切であり、そのために同四二年度より、トレーニング設備充実補助費として中学校に対して特に補助金を配当し業間体操を実施することとした。
 国道の改修、自動車の増加、運転者の不注意等により、交通事故が多発し死亡事故も発生するようになった。
 学校教育においても、自転車の点検・交通安全教室の開催・街頭指導等を通して交通安全に対する実践的指導を実施してきた。
 昭和六〇年・六一年度日本体育・学校健康センター委嘱交通安全教育推進地域事業を受け研究発表会を開催した。以後各地域毎に発表会を開催し交通安全意識の高揚に努めている。
  オ 読書指導と図書館教育
 昭和二一年、来朝した第一次米国教育使節団報告書の中に「新計画全般にわたって、自学自習のための図書館その他の機関が重要な役割を演ずべきである。」と述べており、同二二年五月、発刊された「新教育指針」の中には、「教室には各種の辞書や参考書・地図・読み物・雑誌など児童の自主的学習の意欲をそそり、かつ自主的に、学習しうるように整備充実されることを要する。」とある。なお、同月、公布された学校教育法施行規則第一条には「学校には、その学校の目的を実現するために必要な校地・校舎・校具・運動場・図書館又は図書室・保健室その他の設備を設けなければならない。」と明記されている。
 同二三年一二月、「学校図書館の手びき」が刊行された。それは学校図書館の教育的意義・経営上の原則的技術・方法を示している。同年七月、学校図書館協議会が設けられ、学校図書館基準作成等について研究協議することとなった。同二五年四月、図書館法が制定され、学問的研究と指導力が充実した。
 ついで、同二八年八月、第一六国会で学校図書館法が成立し、学校図書館の機能、設置の義務、司書教諭の設置、負担金制度、その他が規定された。その後、負担金の交付等により逐次その内容は充実した。同三三年五月の改正で、図書の充実のため小中学校の図書は、教材費によって購入されることとなった。
 しかし、同四二年八月三〇日の文部省の通達により、教材基準が示され、その中から図書基準による図書は除外された。今後は学校図書館法によって負担金の対象とすることとなった。
 本部は、地域の実感からして読書力、表現力は一般的に劣っている。
 表によると、児童生徒数の減少のため、保有冊数は基準冊数をはるかに超え充実しているように見える。今後内容的に検討していく必要がある。読書力の向上の一環として、久万町教育委員会主催と上教研主催による読書感想文の募集があり文集も発行されている。ゆとりの時間等を利用した読書指導も試みられている。
  カ 視聴覚教育
 映画や放送は戦前も教育現場に利用されていたが、それは参考資料としての範囲に限られたものであった。戦後、「生活を通じて、それと関連して学習させる」という新教育の方向を具現する方法として、視聴覚教育が重要視されることとなった。
 昭和二二年一一月、NHK学校向け放送が始められ、教師の時間から、つづいて児童、生徒向けの番組が放送されることになり、新しい教材として、利用されるようになった。
 その他、教育映画、幻燈、紙芝居等による視聴覚的指導法が、文部省学習指導要領、手びき書等に重要な学習方法として位置づけられている。
 その後、講習会、研究大会等が盛んになり、視聴覚教育はだんだん進展した。
 視聴覚教材の確保のため、共同管理組織として地域視聴覚ライブラリーの設置が進められ、本郡も上浮穴地教委協議会の事業として昭和二七年より、上浮穴郡視覚教育部を組織した。町村当局の協力を得て自動車一台を購入して、専任職員二名を任用し、郡内各小中学校を年七、八回程度巡回して児童、生徒に優良映画を見させた。
 しかし、各家庭にテレビが普及し、その必要度が減少したため、同三九年度より、この事業は中止された。
 同三二年度より開始されたテレビジョン放送は、学校教育、社会文化の進展に大きな影響を与えた。町内の各小学校においても、適切な番組を教育課程の中にくみ入れ、積極的に利用するようになった。
 昭和五○年三月、久万町視聴覚ライブラリーが条例設置され、視聴覚教育の振興を図るため視聴覚機器・教材が提供されることとなった。また、生涯教育推進のための情報センターとしての機能を持ち、毎年視聴覚技術者認定講習会を開いて技術者の養成に努めるとともに「機器利用の手引き」の作成やテレビ教室の開設などの日常活動を行っている。教育課程の基準の改善に関する答申の中にコンピューターを導入する必要があると述べられているが、久万町では、六三年より中学校にパソコンを設置している。今後益々、学校の中に機器が増加すると思われるのでその活用について研究を深める必要がある。
 教職員の指導技術の向上をめざして、県総合教育センターの学習情報研究室(視聴覚センター)では、小中高の教職員に対する指導者研修講座、小中の教職員に対する情報教育研修講座、高校の教職員に対する情報処理教育研修講座、その他、情報教育公開講座に力を入れている。
  キ 特殊教育
 教育の機会均等の原則に基づく学校教育法で、盲学校、ろう学校、及び養護学校を義務制とする原則を確立したことは、特殊教育の発展にとって一つの時代を画するものであり、重要な意義をもっている。
 昭和二八年六月、「教育上特別な取扱いを必要とする児童生徒の判別基準」が文部省より通達された。同二八年、精薄児対策基本要綱が決定され、教育施設への補助金の支出、特殊教育担任の教員養成及び現職教育の徹底、就学奨励等、特殊教育の振興について種々対策が推進された。
 本部は他都に比して、特殊教育の出発が遅れていたようであるが、昭和三九年度から久万中学校に、同四〇年度から久万小学校に特殊学級を各一学級設置した。地元有志で東田数太郎を会長に後援会を組織し、更に該当児童生徒の父母をもって、父母の会を組織して、その振興に努力した。しかし、諸般の事情により、久万小学校は昭和五三年度に、久万中学は五六年度に閉級した。しかし、障害を持つ児童生徒が無くなったというわけではない。ともかく、障害を持つ子供に対する教育は、益々重要性を増しており一層の充実が期待される。具体的には障害の状況によって、一般の学校では治療や訓練のためのリソース・ルーム方式や普通学級と特殊学級の協力学級方式の採用、また、一般の学校および特殊教育学校との交流などで一層の教育効果をあげることが望まれる。さらに障害に応じた教育諸条件の整備と教職員の専門的知識・技術の向上に努力すべきである。
  ク 現職教育
 戦後の新教育の体制を整え、新しい教育を行うためには、まず教育を担当する教員に新教育の理念を理解させ、その方法を習熟させなくてはならない。そのために文部省では、昭和二二年から三か年計画で、幼稚園・小学校・中学校・高等学校の教員及び校長の再教育計画を立て各都道府県ごとに実施した。
 一方、昭和二四年に免詐法が制定され、現職教員が研修により、上級免許状を取得する道が開かれた結果、現職教育の重要性と必要性がさらに強調されることとなった。
 大学で行う通信教育、免許法認定講習、上級免許状取得のための制度として認められた認定講習会等は、戦後の有資格教師の不足を補うために多大の成果を上げてきた。
 教育振興の第一条件は、教師の資質の向上であることはもちろんであるが、戦後の教師の不足による質の低下、社会の混乱、教職観の混迷から教師の使命感の喪失、その必然的結果として教師に対する児童生徒、更に父母の信頼感の喪失等のために教育現場は著しく荒廃した。
 中央教育審議会は、昭和三三年七月二八日、「教員養成制度の改善方策について」の中に理想的教師のあり方として「教師は教育に対する正しい使命感と児童生徒に対する深い教育的愛情とを基盤として、世界的視野に立った人間的・国民的一般教養を備えるとともに、社会の進展に即した専門的知識と児童生徒の教育に即した教職教養を有しなければならない。しかもこれからの知識、教養は自主的人格のうちに統合され、教育に対する全体的な識見、情操を高めうるものであることが必要である。」と述べ、教師は単なる労働者ではなく、専門的職業として高い教養と使命感、技術を必要とすることを明らかにしている。
 教員養成審議会は教員の資質として、教育者としての使命感、成長発達についての深い理解、幼児・児童・生徒に対する教育的愛情、教科等に関する専門的知識、広く豊かな教養及び実践的指導力の六つが必要である、と述べている。
 また、昭和六一年、臨時教育審議会は、「教員の資質向上のために、教員養成・免許制度の改善、採用方法の改善、初任者研修制度の創設、現職研修の体系化が必要である」と答申した。文部省はこれを受けて昭和六二・六三年の二年間初任者研修の試行を実施し、平成元年より小学校から完全実施の方向で準備が進められている。
 なお、教育内容の改善の一環として、昭和六二年より外国人講師による英語の指導が実施されるようになった。
 本県の教職員の大部分は、専門職としての教師の使命感を自覚し、研修団体である「愛媛県教育研究協議会」を結成して日々研鑽に励んでいる。したがって、その教育実績は高い水準にあり、地域父母の信頼にもあついものがある。
 久万町教職員は、愛教研を中心とした研修、久万町教育委員会主催の研修会はもとより、各学校・グループによる自主的な研修会にも参加している。中堅教職員による「身銭会」は職能分化と言う点から有意義な会である。また、町内教職を中心に結成している「久万山金管バンド」は郡唯一の洋楽集団として、地域へも大きな貢献をしている。
  ケ 同和教育
 日本国憲法は、日本国民にすべての基本的人権の亨有を認め、生命・自由および幸福追求に対する国民の権利を尊重し、すべての国民は、人種・信条・性別・社会的身分または門地により、政治的・経済的または社会的関係において差別されないと規定し、法の下に平等であることを保障している。
 しかし、現実には、日本国民の一部の集団が、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、これらの権利が完全に保障されていないという同和問題が存在している。
 同和問題が、現代社会においてもなお未解決のまま残され、更に部落差別が再生産されている根本的な原因は、国民の同和問題に対する正しい認識が不足していることと人間尊重を基盤とする民主主義がまだ徹底していないことにあると考えられる。
 同和問題を解決するには、国民のひとりひとりが同和問題を正しく認識し、全国民が共通課題として取り組むとともに、社会の中に今なお生きている不合理な差別を解消するために、国および地方公共団体が責任をもって積極的な行政的施策を推進することが急務である。この問題の解決に当たっては、何人も傍観者であってはならない。
 同和問題の解決は、あらゆる施策の総合的推進によって達成されるものであるが、その中でも教育の果たす役割はきわめて大きい。
             (「愛媛県同和教育基本方針」前文より)
 昭和二五年、宇摩郡天満村清寧中学校、同和教育研究発表会開催。
 同二七年、広島県「吉和中学校事件」が発生。同年、文部省は同和教育について通達する。
 同三一年、県同和教育研究大会が初めて開かれた。
 同三四年、文部省同和教育研究指定校制度が始められた。
 同四三年、愛媛県同和教育協議会が結成された。
 同四四年、同和対策事業特別措置法が制定(昭和四○年、同和対策審議会の答申に基づいた。一〇年間の時限立法)された。
 同四五年、愛媛県下の学校に二〇名の同和教育推進主任が配置されることになり、久万中学校にも配置された。渡辺登(四五)団上朝雄(四六)小倉敦男(四七~五〇)三好武親(五一~五二)黒田通雄(五三~五五)菊地淳(五六~六一)小野敏信(六二~ )
 昭和四八年、愛媛県同和教育基本方針が策定された。「えひめ同和教育」が創刊された。
 同四九年、久万町同和教育協議会が発足した。小学校の社会科教科書に同和問題が記載された。
 同五〇年、中学校社会科教科書に身分制度の内容が盛り込まれた。
「部落問題の記述に関する指導上の留意事項」について通知があった。
 同五一年、参川小に同和教育推進主任が配置された。
 同五二年、高等学校用指導資料「人間の輪」が発行された。
 同五三年、同和対策事業特別措置法が延長された。久万幼・小・中・上浮穴高校を会場に地区別同和教育研究大会が開催された。
 同五四年、小学校用資料(きょうだい)中学校用資料(ほのお)が発行された。久万小・中において、文部省指定同和教育研究発表会が開催された。久万町同和教育協議会が「こたつ懇」の名称による訪宅的実践活動を始めた。
 同五七年、地域改善対策特別措置法(五年間の時限立法)が制定された。久万小学校に同和教育推進主任が配置された。木下敬幸(五七)野村融(六〇~  )
 同五八年、町内小中学校新採教員に対する研修会(年一回)を開催した。
 同五九年、町内小中学校新採教員及び転入教員に対する研修会(年一回)を開催した。
 同六〇年、町内小中学校教職に対し「久万町新採・転入教職員同和教育研修会」として、新採教職員は年三回・三年間、転入教職員は年三回・一年間の研修を始めた。久万幼・小・中・上浮穴高校を会場に地区別同和教育研究大会が開催された。
 同六二年、地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関す
る法律(五年間の時限立法)が制定された。
 同六三年、県同和教育研究大会において久万中の実践を発表した。
小田町立小田中学校に同和教育推進主任が配置された。三好元親(六三~  )

久万中学校進路一覧表

久万中学校進路一覧表


久万中学校卒業生進路状況

久万中学校卒業生進路状況


畑野川中学校進路一覧表

畑野川中学校進路一覧表


畑野川中学校卒業生進路状況

畑野川中学校卒業生進路状況


直瀬中学校進路一覧表

直瀬中学校進路一覧表


直瀬中学校卒業生進路状況

直瀬中学校卒業生進路状況


父二峰中学校進路一覧表

父二峰中学校進路一覧表


父二峰中学校卒業生進路状況

父二峰中学校卒業生進路状況


〈参考〉 わが国の学校給食のあゆみ

〈参考〉 わが国の学校給食のあゆみ


交通事故発生状況

交通事故発生状況