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久万町誌

2 公民館 ①

  ア 久万町民館
   町民館設置目的
 過疎地域集落整備事業(自治省所管)として、久万町開発の主体となる町民の自治意識の高揚と、町勢の発展を図るため、産業の再開発、教育文化の普及、生活改善の推進、保健・福祉の増進、情報発信、レクリエーション等に便宜を提供して、新しい町づくり、コミュニティつくりの総合的かつ拠点的施設とする。
   管理運営
 久万町民館の設置及び運営に関する条例並びに運営協議会条例に基づき管理運営されている。館長(教育長兼務)、事務長(教育次長兼務、昭和五二年より)、職員一、用務員一。条例に基づく運営委員一二。なお食堂については、久万町母子福祉会に委託している。
   利用機能
 各種団体、機関、グループの施設利用、及び図書館、移動文庫、視聴ライブラリー等町民の自主的参加による利用の便宜を図るため教育委員会と町民館の職員がそれぞれ事務を分担し対応してきた。町民館での結婚式、文化祭等の諸行事も同様である。
   教育機能
 生涯教育の立場に立ち、政治・経済・福祉・教育・文化を総合的に向上発展させ、あたたかい人間性の復活をめざして、体力つくり、社会道徳の高揚、生涯教育、政治教育の重点目標達成のため教育委員会と町民館の総力を結集して取り組んできた。
 主要な教育活動としては、明治青年大学、婦人大学、夏期成人講座、中央青年講座、中央公民館としての役割と、結婚披露宴の会費制、趣味の教室開設等がある。同時に町民館独自の機能も果たしている。
 趣味の教室には、民謡、詩吟、生花、盆栽、古典、舞踊、美術、俳句等がある。
  イ 中央公民館
 昭和三四年(一九五九)三月、旧久万、川瀬、父二峰三か町村合併後の公民館活動の課題は、三か町村のレベルアップと新しい町づくりへの住民意識を啓培することであった。そのために各種組織及び行事の一体化を段階的に進め、新町民主政治の基礎をしっかり築くことを目標とした。既にこの年には、町内の全域に一一の独立館が建設されており、各公民館を巡回して、新しい町づくりの懇談会が開催された。公民館は人集めにあたり、行政と住民の橋渡しに果たした役割は実に大きかったのである。
 これらの公民館は、地域住民や民主団体等の出役或は金品持ち寄りなどによって建設されたこともあって、地域の特色を生かして自主的な活動に取り組んでいたが、同年五月に公民館設置条例の制定、続いて七月には公民館管理運営規則、中央公民館運営審議会規則などの制定によって地域所有の公民館はすべて町へ移管され、館長、主事の任命、役職員の選出等、新しい公民館体制を整えた。
 現在の久万公民館は中央公民館として位置づけ、館長には町長が就いた。専任主事は中央・久万・明神・川瀬・父二峰に各一名の計五名を配置したが、昭和三六年には主事一名が中央公民館に増員され、中央、地域で調和のとれた活動が展開されるようになった。
 昭和三八年七月からは教育委員会事務局を役場(新庁舎)へ移して社会教育行政を強化し、中央公民館では、専任の館長、主事を置いて社会教育事業を進めてきた。
 昭和四〇年代に入って公民館活動は、中央でも分館でも成人教育に力を注ぎ学習を継続してきたが、人集め等にはやはり役員の苦労があり、今後の意識の高まりが大きな課題となっている。このような中、昭和四一年に久万町公民館連絡協議会が結成され、町内一一公民館の連携を図る上で大きな役割を果たすようになった。
 昭和四四年ごろから中央で六~八月の間、夏期成人講座を開いてきたが年々受講者も増え、町民大学と名を改め引き継がれている。また講師を中央から迎えての夏季大学も毎年一回開催してきた。これが現在の夏季大学の前進であり、学習意欲のある成人の学習の場となっている。
 昭和四六年四月に社教審の答申が出され、社会教育の方向が示された。生涯の各時期をよりよく生きる学習推進が重視され、公民館の果たす役割はますます重要となってきた。このころから出かける社会教育が実践されだしたのである。
 昭和四八年一〇月、久万町民館が落成したのを機会に、ここを中央公民館とし、久万、川瀬、父二峰の三つの公民館連絡協議会を組織し、一一分館とともに、それぞれの範囲で課題解決への活動を進めることにした。更に一一分館の下に地域公民館を指定した。最も小規模の組を対象に、地域集会所を地域公民館と呼ぶことにしてその地域の課題学習を継続することにしたのである。地域公民館には一地域を二年間指定して若干の育成費を出しているが、常会の復活ともなり、組では夫婦揃って学習に参加することもあって、身近かな課題学習に熱が入っている。こう言った①中央公民館、②地区公民館連絡協議会、③公民館(分館)、④地域公民館の機能と活動展開を久万町では「公民館の四段階方式」と呼んでいる。
 昭和四〇年代後半から五○年代に入って、公民館がコミュニティづくりの拠点として、地域住民の課題解決に大きな役割を持つようになった。また、体育活動はかなり活発に行われていたが、地域住民の心と心を結ぶ活動として文化活動、たとえば吟詠、民謡、舞踊、万歳などが盛んに行われるようになり、公民館が生きがいを高める場となっているのである。
 昭和五一年(一九七六)二月、明神公民館で開催された久万町公民館振興研究大会において、日常生活を見直して、改善できることは改善しようと生活改善推進が申し合わされた。その後、公民館の関係諸会合のたびに、改善推進の具体策を検討してきた。その具体策として結婚改善をおし進めることになり、久万町結婚改善要綱を制定し、会費制結婚式を奨励することになった。昭和六三年一月一日現在で生活改善による結婚式(町民館結婚式)を挙げた組数は、一〇九組となり、町民の生活改善に対する意識も高まってきている。
 昭和五一年七月、伊方町中央公民館と久万町中央公民館は、山と海の環境の違いを長所としてお互いに研修しようと姉妹公民館の契を結び、交流研修を実施してきた。伊方町の生活改善について研修し、久万町でも結婚・葬儀・見舞い金の改善運動に取り組むことになった。昭和五二年には、お歓び用、お悔み用の袋を久万町生活改善推進協議会で作製して、実費頒布を行っており、結婚や葬儀の際にはけん垂幕を吊ってPRに努めている。こうした努力が浸透して、実践目標に沿って改善の効果が上がっており、公民館活動にも成果がみられるようになった。
 昭和五七年、久万町壮年会が提唱して始まった「ふるさとクリーンデー」では、現在一一公民館を中心として、各種団体・学校・地域が一斉に統一日(毎年七月第二土曜日)に清掃活動を行い、地域の生活環境美化運動に取り組んでいる。このことによって地域住民の環境美化に対しての意識が徐々にではあるが変わりつつある。昭和六三年度の参加者は、二五〇〇名になり、町をあげての運動となっている。こういった活動の中から、昭和六三年より「花いっぱい運動」の気運が高まり、中央公民館を中心に、分館、各種社会教育団体が本格的に取り組むようになった。
 現在中央公民館では、定期講座として、①ヤングセミナー(青年教室)、②婦人大学、③壮年大学、④高齢者大学、⑤熟年学級、⑥働く親のための学級、⑦夏季講座、⑧放送利用学級などの他、自主学級、各種講座の開設を図っている。なお地域への巡回講座も実施し、生涯学習時代への対応に当っている。
 昭和六〇年代に入って、「生涯学習」がクローズアップされ、中央公民館もさまざまな形で対応している。その中に「生涯学習情報システム」の導入がある。松山教育事務所管内の学習情報、教育施設情報、講師情報がコンピュータによって取り出されるシステムを中央公民館が備えたため、地域住民のニーズに応えることができるようになった。
 今後中央公民館は、「生涯学習の生活化」を町づくりの核として位置づけ活動しなければならない。そのために、一、ひとり一学習 二、ひとり一活動 三、ひとり一スポーツ 四、ひとり一工夫 五、ひとり一奉仕、以上のような目標を掲げている。生涯学習をさまざまな角度からとらえ、二一世紀の町づくりのため、中央公民館を中心に、生涯学習に積極的に取り組まなければならない。 
  ウ 明神公民館
 昭和三一年一一月、冠婚葬祭の改善をはじめ、福祉活動推進のために福祉施設期成同盟会が結成され、その中心事業として公民館建設の議がとりあげられた。
 全額町費で建設するよう議会に要望したがいれられず、同三二年二月の議会において「町費用二〇〇万円、地元負担金一〇〇万円以上として福祉施設期成同盟会で計画するように」ということになった。
 明神村と旧久万町が合併する際、明神地区内にある公有林を伐採して収入のあった時は、その一割を明神地区へ還元することが決定されていた。そこで同盟会では、その還元金を公民館建設費の地元負担金に充てることを住民に計り承諾を得た。同時に農協の協力を得て、公民館建築と農村公民館活動に不可欠の有線放送施設とを同時に施工することとなった。各戸からの労力奉仕、三〇〇人役によって敷地造成等が行われた。また有線放送の柱は、青年団の労力奉仕によって立てられた。
   施設・設備概況
  公民館  敷地面積  六六六・六平方㍍
       建物面積  二五〇・八平方㍍
  有線放送 延長七キロ㍍、アンプ本体 三
       電話による地域放送 三か所
 資金は、町補助 二〇〇万円、農協寄付 二〇万円、旧役場売却代金、三二万五○○○円、組員負担金 一二万八二三○円、還元金寄付金一三四万八五七〇円であった。昭和三二年九月三〇日、落成した。
 明神公民館区は、大字東明神、大字西明神、大字入野のうち新開、梶山である。この地域は基盤整備をされた水田が多く、米作中心の農業を営んでいる。現在は水田を利用した、ハウストマトの栽培が盛んになってきた。
 昭和六三年一二月一日現在、四〇四世帯、一〇〇六人が生活している。スキー場・ゴルフ場・キャンプ場等近代的レジャー施設が作られ、地域の発展に寄与している。また、仰西翁の記念事業もある。
   活動内容
 ア 教 養 部
  成人講座、芸能発表会、公民館まつり等を実施している。
 イ 愛 護 部
  地区内の愛護班の育成指導、青少年健全育成に努めている。
 ウ 産 業 部
  農業に関する講習会、研修会を年五回実施している。
 エ 体 育 部
  明神地区体育大会・ソフトボール・バレーボール・レクリエーションバレーボール・クロッケー大会を開催している。
 オ 厚 生 部
  伝統ある敬老会を開催している。昭和六三年度で九〇回になる。
  エ 久万公民館
 昭和二九年一一月、久万造林株式会社井部栄治社長は、創始者である井部栄範翁四〇年忌に当たり、造林記念館を建築し、これを久万町に寄贈した。久万町では、昭和三〇年四月、記念館を公民館とした。久万公民館を中央公民館とし、野尻・明神を分館とすることとした。
 昭和三二年四月、久万公民館に県立図書館上浮穴分館が設置された。
 昭和三四年、町村合併により、久万公民館、中央公民館、久万町教育委員会事務局、県立図書館上浮穴分館、中央公民館図書館が同居することとなった。昭和三八年、教育委員会事務局が役場庁舎へ移転した。昭和四〇年、中央公民館が役場へ移転した。昭和四八年、図書館が町民館へ移転し、他の分館と同様になった。
 久万公民館は大字入野(新開、梶山を除く)、大字久万町、大字菅生(宮ノ前・中野村・槙谷を除く)の大地域を持っている。昭和六三年一二月一日現在、一一五七世帯、三〇一九人を擁している。久万町全体の役四割を占める。区内には公的施設も多く、行政・商工・交通の要所となっている。また、菅生山大宝寺もあり、宗教・文化の中心地でもある。
   活動内容
  ア 産業部
 産業の活性化を目的とする講座を年二回開催し、効果を挙げている。町おこしの一環として商工会と商店連盟との共催による「商店巡回オリエンテーリング大会」(県下でも珍しい)と「どんど焼」を実施している。
  イ 厚生部
 青少年健全育成をねらいとして「子供の日」に区内の子供を対象に記念行事を開催するとともに、前後二週間、児童公園付近の久万川上に鯉のぼりを掲揚している。勇壮な眺めは季節の風物詩ともなっている。
 地区の先輩に感謝と敬意を表するため、婦人の手づくりによる敬老会を九月一五日に実施し、感謝されている。
  ウ 教養部
 教養講座を年二回開講している。また、旧盆には、児童公園において盆踊り大会を開催し、住民のコミュニケーションを図っている。
  エ 体育部
 住民の体力の維持増進と親睦を図るため、年間を通じ各種の大会を開催している。
 レクリエーションバレーボール大会は、年二回開催しているが、参加者も多く、普段運動に参加することのない住民の参加もあり、和やかな中で、すがすがしい競技が行われている。
 町民運動会も参加者が多く、五地区対抗で実施するため自然に熱気を帯び、しかも楽しい行事となっている。
 耐寒マラソンは、年末年始に開催し、体力、気力の育成面で効果を挙げており、早朝にもかかわらず皆勤者も多数いる。
  オ 野尻公民館
 昭和二七年の初め、集会所の老朽化、川瀬村の公民館建設に刺激され公民館建設の議が起こった。上・中・下野尻の代表により建築委員会を組織し建設に当った。経費二一二万円は総て寄付金によって処理し、中・下両組員や建設委員等の多大な労力奉仕によって、昭和二八年一〇月一〇日に落成した。昭和三二年度に五○万円の町補助金によって約一〇坪の拡張工事を行った。
 野尻公民館区内には、大字上野尻、大字下野尻、大字菅生のうち宮ノ前、中野村、槙谷の地域がある。米作を中心とした農業もあるが、木材市場・製材所もあり、林業も盛んである。昔は、高野幸治の努力によって開設された「野尻牛市」が盛んであった。宮ノ前を中心として「県林業試験場」の設置が決まっている。地区内には、文教・厚生施設も数多くある。昭和六三年一二月一日現在、世帯数は三四八戸で、九九五人が生活している。
   活動内容
  ア 体 育 部
 地区住民の体力の維持増進と親睦、世代間の交流を図ることを目的として、一一月三日に野尻公民館区大運動会を実施している。昭和六三年度で一九回になる。五チーム対抗で実施し、白熱した中にも初期の目的が達せられる有意義な行事である。
  イ 厚 生 部
 先輩への敬意と感謝をこめて、九月一五日に敬老会を開催している。館長あいさつ・功労者表彰・明友会交通安全宣言等が行われ、続いて激励のことばがある。会食・演芸等楽しい行事である。八月一四日には納涼祭りとして盆踊りを開催する。その他芸能発表、子供向けイベント等を実施し、住民のコミュニケーションを図っている。
  イ 産 業 部
 六月にサツキ・山草・盆栽・生花などの展覧会を実施している。また、「花いっぱい運動」を実施し、各戸に花の苗を配り住民の協力を得て町内を花で飾るように努めている。
  エ 教 養 部
 「産業経済」「健康」「趣味・レクリエーション」をテーマに成人講座を開講し学習している。五八年九月から公民館と住民を結ぶ方法の一つとして「のんびり月報」を発行し、住民の身近かな出来事を中心に広報活動を実施している。
  オ 愛 護 部
 青少年の健全育成、住民の交流を目的として、三世代交流クロッケー大会を開催し効果をあげている。愛護部農園を作り、サツマイモなどを作って共に食べるというようなことも行って地区の子供たちとの交流を深めている。
  力 上畑野川公民館
 昭和二三年八月、公民館建設委員会が発足し、小学校校庭(現在のプールの位置)に建築することになった。同二四年三月、敷地造成開始、同年一一月、竣工した。経費の大部分は、地域の青年が村有地に植林していた杉桧を売却して得たものであった。内訳は、村補助金 七万円、地元寄付金 二〇万円、青年団基本金 五〇万円、その他労力奉仕三〇〇〇人役であった。
 昭和四三年、公民館の老朽化、小学校の屋内運動場建築、僻地集会所の建築などが要因となり、地域の中心部に新築された。経費は、負担金八二万円、町補助金一四六万円、県補助金一一二万円であった。
 上畑野川公民館区は大字上畑野川全域である。米作中心の農業と林業が主産業であった。近年、ハウストマト(桃太郎)の栽培、皿ヶ嶺の湧水を利用したアマゴ・ニジマスの養殖が盛んになってきた。養殖魚の大部分を、国民宿舎古岩屋荘、ふる さと村へ出荷している。昭和六三年一二月一日現在、世帯数一五三戸、四四四人が生活している。昭和六三年八月、畑野川小学校が木造で建築され、参観者があとを絶たない。
   活動内容
  ア 体 育 部
 バレーボールは、昭和四一年、四三年、四七年町内大会準優勝、四七年には郡大会で準優勝し、県大会に出場した。同六三年、町公民館対抗バレーボール大会で二部の男女がアベック優勝した。サッカーは昭和六三年春、町内大会で優勝した。昭和二一年一〇月、第一回畑野川地区運動会を上・下畑野川を有枝川を境にそれぞれ二分し、四地区対抗で開催した。六三年度で第四〇回を迎えた。
  イ 産 業 部
 昭和五〇年から同六一年の間に水田の基盤整備を行い稲作の機械化が進んでいる。一方では、整備された水田を利用して、ハウストマト、雨除けハウスにおけるほうれんそう・レタス等の栽培が行われるようになり、野菜生産研究のために「農業クラブ」も結成された。公民館として、地域の産業振興のために「農業講座」「林業講座」を開設している。また、住民の健康増進を目的とする「健康講座」も開設するなど学習の場づくりに努めている。
  ウ 婦 人 部
 婦人会と一体となって活動している。特に上畑野川地区の特色を生かし、郷土の味をいつまでも残しておくことを考えて後継者の育成に努めている。婦人部員が畑野川中学校へ出向き、中学生を対象に「郷土料理講習会」を開き「地区の味」の伝承を図っている。またそれを機会に中学生と懇談し、コミュニケーションを図る場としている。更に住民の食生活と健康を考え「食生活改善講習会」も実施している。
  キ 下畑野川公民館
 下畑野川地区の青年団は、昭和二一年、青年会館建設を計画し、資金の調達の準備を進めていたが、その年、文部省より公民館構想が新聞に発表され、公民館建設へと発展した。
 久万造林株式会社(井部栄治社長)より、用材の寄付を受けることになった。同二二年四月、青年団の中に公民館建設委員会を設けた。大工棟梁井田安蔵の奉仕的精神によって、全く資金の見通しのないまま工事に着手した。同年一二月、上棟を目前に地域の人々に依頼し、一戸平均一〇〇〇円の寄付を受けた。同二三年三月、三三〇平方㍍の公民館が完成した。経費は、村補助金 五万円、寄付金 一一万円、青年団基本金三五万円、木材寄付一二才、製材加工費(川瀬森林組合)、労力奉仕 二三七〇人役であった。
 同三九年、県道(峠御堂線)工事のため現在地に移転した。
 下畑野川公民館区は大字下畑野川全域である。盆地状でほぼ中央を流れる有枝川に沿って基盤整備された水田が広がり、その外側になだらかな畑地があり、山林へと続いている。山地にしては比較的耕地の割合が大きく、地味も豊かで農林業を主とする地域である。
 昭和六三年一二月一日現在、二三〇世帯、六六七人が生活を営んでいる。地区内には、ふるさと村・ゴルフ場・観光リンゴ園があり、季節を問わず町外から観光客が訪れ、久万町観光の拠点となっている。
   活動内容
  ア 体 育 部
 公民館の組織としての体育部は設置されていない。町内バレーボール大会には参加し、優秀な成績をおさめている。畑野川地区運動会は昭和二一年から始まり、六三年度で四〇回になる。近年流行しているレクリエーションバレーボールの町内大会にも参加している。
  イ 厚 生 部
 敬老会。毎年四月二九日民謡クラブ・吟詠クラブ・小学生・婦人会の協力を得て盛大に実施している。
 盆踊り大会。五○年代までは住吉神社境内において地域住民と帰省者で実施していた。六〇年代になって、ふるさと村を会場にして、地域住民・帰省者・ふるさと村来村者等四〇〇名を越える人々で盛大に実施されている。
 公民館まつり。毎年三月上旬公民館の各部・クラブの一年間の活動の成果の発表の場として実施して、好評である。
  ウ 産 業 部
 林業講座・農業講座を開講し、地域の産業振興に力を発揮している。
  エ 婦 人 部
 婦人部は婦人会と協力して地域の美化活動に努力している。峠御堂トンネル入口よりふるさと村までの道路沿いに、サッキ・ツツジ・サルビア・コスモス・ふようといった季節の花を植え、管理して花いっぱい運動を推進するとともに空かんひろい等にも努めている。
  ク 上直瀬公民館
 上直瀬地区では、昭和二一年三月、地区有志と青年団により満月会が結成され村づくりの研究を始めた。昭和二二年九月、公民館建設の機運が高まり、満月会は改組された。成人層による睦会は側面的に協力することとなった。昭和二四年四月、第一回公民館建設委員会が開催された。同月、起工式を実施し、昭和二五年四月、落成した。工事請負者は、小黒助三郎、大野鹿太郎を中心とした大野要次・石丸音衛・小倉猪蔵・大野春助であった。人夫は青年団員がつとめた。経費は、村補助金一〇万円、寄付金一〇〇万円(青年団四○万円)、現物寄付の木材及び米、労力奉仕二六〇〇人役であった。
 上直瀬公民館区は、上直瀬全域である。山村としては、比較的恵まれた農林業地域である。
 昭和六三年一二月一日現在、二二九世帯、七二四人が生活を営んでいる。地城の構造改善事業として土地基盤整備が実施され平成元年には修了予定である。「雨除けハウス」の団地として高原野菜の栽培が盛んになってきた。特に「桃太郎トマト」はブランド品となっている。その他「たばこ団地」「桑団地」も整備されてきた。
 昭和五九年、直瀬多目的集会所・上直瀬住民センター(上直瀬公民館)が建築された。
   活動内容
  ア 体 育 部
 昭和三一年当時より「体育を奨励し、健康な身体と健全なる精神の育成に努力する」「保健衛生の知識を涵養する」ことを目標に地域住民総ぐるみで取り組んできた。住民総参加の運動会、各種講座(食生活改善・衛生思想の普及等)を開催し、住民の親睦を図っている。
  イ 産 業 部
 農業の経営・技術に関する研究会、農産物の計画生産・計画出荷に関する研究会等を開催している。また、農産物の品評会も実施してきた。このことによって上直瀬の農業の振興に大きな力を発揮している。
  ウ 婦 人 部
 昭和三〇年以来老人ホームの慰問を実施し、お年寄りに喜ばれている。
 婦人学級を年一四回開催し研修している。講師は、農協・役場・普及所の職員・医師・教員等である。
  ケ 下直瀬公民館
 昭和二四年、文化講座が開かれた。この講座から話しが始まり、それまでの集会場の改造と、二階建て一棟の新築が行われることになった。三つの地区の代表が建築委員となり運営に当った。昭和二五年九月二六日、落成した。経費は、村補助金 一〇万円、寄付金 二○万円(一戸あたり一〇〇〇円)、現物寄付 木材など、労力奉仕 一五○人役であった。
 下直瀬公民館区は、下直瀬全域である。四方を山にかこまれた町内で最も小さい地域である。水田は基盤整備がなされている。谷間であるために農耕地は少ない。兼業農家も多いが、近年地区の北東部の山林を拓き、高原野菜の一つである大根の栽培に取り組む農家も現れた。
 昭和六三年一二月一日現在、七七世帯、二二〇人が生活している。
   活動内容
  ア 体 育 部
 昭和三六年から下直瀬町民運動会を実施し、全住民の参加を得て盛大に開催している。町内公民館対抗のスポーツ行事に参加し、優秀な成績を挙げている。そのためのスポーツ教室を開くなど、極めて意欲的である。
  イ 産 業 部
 農林業講座を開講している。林業関係では、除間伐の講習会、材を利用した工芸品の製作講習会等を行い、農業面では、農薬に関する学習会を実施し好評である。健康講座を開講し、食生活の改善・郷土料理の講習等を実施するとともに全戸一斉消毒等にも力を入れている。
  ウ 娯楽部・歌舞伎部
 毎年五月の母の日には、地域の小中学生によって「お母さんに感謝する会」を実施し地域の活性化に一役かっている。成人層によって川瀬歌舞伎の継承活動がなされている。詳細については、伝承芸能の項を参照されたい。
  コ 落合公民館
 昭和三一年一一月、落合組の中央にあった公会堂を二階建てにし、しかも公民館としての内容を持つ施設に改造したが、旧父二峰村においては公民館建設の基準を大字毎に一館の方針であったため正式に村から公民館として認められなかった。
 昭和三四年、町村合併と同時に正式に公民館として発足したのである。
  施設、設備概況
  公民館  敷地面積 二二八平方㍍
       建物面積 二二五平方㍍
  放送設備一式、調理器具一式、スポーツ用具一式等を保有
 資金は、村補助金 一○万円、組内寄付金 三〇万五○○○円、組外寄付金 一〇万円、組費 二四万五〇〇〇円で、その他一戸五人役出役奉仕をする。昭和三一年一一月五日、落成した。
 落合公民館は、落合組と一体になっての活動に特色があり、地域がひとつということで協力体制ができている。昭和三七年には、校区が久万小学校に変わり、とまどいもあったが、父二峰地域とのつながりには、深いものがある。
 地域内には、国道三三号線、三八〇号線が走り、久万町への奥の玄関としてにぎわいをみせている。また、久万川と父二峰川の合流点にあたり夏には多くの観光客が訪れる。交通の要所でもあり、観光農業にも力を入れている。農林業が主体ではあるが、久万町内や町外で勤めるサラリーマン家庭も増えている。また、材木市場が二か所あり「良材と休養の町」にふさわしい地域である。
 交通の利便もあり、後継者も定着し、近代農林業地帯に変わりつつある。また地域のコミュニケーションづくりの場として児童公園は、老若男女がそろって利用できるようになっている。昭和六三年一二月一日現在、五六世帯、一七七人が生活している。
   活動内容
  ア 教養文化部
 成人講座、芸能発表会、ふるさと納涼まつり、愛宕山・伝統文化(獅子舞)の保存伝承等を実施している。
  イ 産 業 部
 農林業に関する講習会、研修会を年三回、新農構説明会、観光農園等の実技指導を実施している。
  ウ 体 育 部
 落合地区体育祭、ソフトボール・レクリエーションバレーボール大会、クロッケー大会、体力つくり教室を実施している。
  エ 厚 生 部
 婦人学級、敬老会、町外先進地視察を実施している。
  オ 愛護班部
 青少年の健全育成、花いっぱい運動、ふるさとクリーンデーを実施している。
  サ 露峰公民館
 昭和二二年ごろ、露峰地区の復員青年は激増し、約七〇名を数えた。しかし、青年たちには集会の場所がなく、演芸会の練習などをする場合個人の家やお宮、お堂などを利用する状態であった。
 青年たちは、相互の研修の機会と場所をつくりたいと話し合い、集会所(青年会館)の建設を決意した。ちょうど時を同じくして文部省から公民館構想が出されたのでそれを機に検討の末、青年会館の建設は、公民館建設へと発展していったのである。
 同地区には、養蚕が盛んであった当時(戦前)、株主二五名で建てていた養蚕会堂(約延べ約五六坪)があった。これをゆずり受け公民館にしようと役員会で決議した。資金を得るため、青年団員は収入事業に努力するとともに、株主を個別に訪問し、一部を除き無償で青年にゆずってもらうよう説得してついに効を奏した。
 昭和二四年に青年団役員が各組を回り、公民館の必要性を説明して運営委員会を組織した。しかし、前記の会堂は老朽化のため大改修をしなければ公民館として利用はできず、改修か新築かの審議は資金の面でいきづまり一歩も前進しなかった。
 同地域には、約三〇年前の青年たちが植林した山林(権利は青年と地主の折半)があった。当時の関係者と話し合ったが、契約伐採期に達していないので許されず、二年間を無為のうちに過ごした。公民館建設に力をそそいでいた青年幹部も結婚その他の理由で団を退いた。
 昭和二五年、後を継いだ青年たちも、先輩の意志を生かすべく再び建築委員会(委員長植田要)を組織し、改築を決した。しかし、その資金は青年たちの労働で得た三万円のみであった。
 昭和二七年、青年山が伐採期に達したので地主と相談し売却した。売却金二六〇万円の内半分一三〇万円を建築費に充当することにした。
 同二八年、久万警察署改築に際し、同署の払い下げを受け移転改造を議決し、五万円で払い下げを受けた。地域住民、青年団員など約四○○人役の奉仕によって、敷地整備と署の取りこわしと運搬を行った。一方では資金ねん出のため、不足分を地元へ依頼するとともに村当局へは助成の陳情を行った。しかし、村当局からは早速に助成金を得ることもできず、設計変更もやむを得なかった。
 同二九年、このように日が過ぎていくうちに、養蚕会堂は腐朽し取りこわしの必要にせまられた。一方払い下げを受けた庁舎も雨ざらしの状態で放置できず、ついに売却してしまった。。再び父二峰村当局へ陳情した結果、村当局も熱意に動かされて、「露峰公民館のことだけとせず、補助基準一戸一万円として不足分は地元負担とし、各地域に公民館の新築を」という村議会の結論が出るまでにこぎつけた。終戦直後からの露峰の苦心がきっけとなり全村に四つの公民館建築をみる結果となったのである。資金は、青年山売却代金一三〇万円、村補助金万二二〇万円、寄付金六〇万円である。
   施設、設備概況
  公民館  敷地面積  六五一平方㍍
       建物面積  三五三平方㍍
   活動内容
  ア 教養文化部
 成人講座、納涼まつり、敬老会、月見会等を実施している。
  イ 産 業 部
 農林業に関する講習会・研修会、新農構への取組み、郷土土産コーナーでの即売などを実施している。
  ウ 体 育 部
 露峰地区(落合を除く)スポーツ祭、ソフトボール・レクリエーションバレーボール大会、体力つくり活動などを推進している。
  エ 地域後継者部
 納涼祭、秋祭り、文化祭の中心機関である。また地域活性化にむけて町外研修等も実施している。
  オ 愛護班部
 館下の愛護班の育成指導、青少年健全育成活動(子供会、クリスマス会)、花いっぱい運動、公共機関の清掃などを実施している。
  カ 環境整備部
 ふるさとクリーンデー、公民館山実地踏査、案内看板設置、花いっぱい運動等を実施している。
  シ 父野川公民館
 村当局の公民館建設の補助基準が決定された昭和二九年、部落総代、組長、婦人会・青年団などの代表者によって、公民館建築についての話し合いがもたれ、部落有林を主な財源として建築することに決定した。一戸三人役の出役奉仕により敷地整備などを行って、昭和三〇年一〇月三日、落成した。
   施設・設備概況
  公民館  敷地面積  三一四平方㍍
       建物面積  二四九平方㍍
 資金は、村補助金 七一万円、寄付金 五○万円、部落有林 一一三万円である。
 父野川公民館区には、大久保組と馬ノ地組があり、地域行事、伝統行事には住民一体となっての取り組んでいる。主産業は農林業である。昔はタバコの栽培、養蚕等も盛んであったが、今日では農業のみといった農家は減少し、そのほとんどが兼業である。
 昭和四四年一一月には、林業振興の基盤である「芋坂林道」が自衛隊による大規模工事の末開通した。沿線には開墾地もあり、主幹道となっている。また、枝道も整備され木材搬出が便利になった。久万町が実施している「ふるさとの森」もこの終点に広がり、所有者が年に数回この地を訪れるなどにぎわいをみせている。
 昭和六三年一二月一日現在、五四世帯、一三八人が平和な暮らしを営んでいる。父野川地区の中央を広域幹線である大洲、内子を結ぶ国道三八〇号線が通っており、町外から久万町へ出入りする場合の交通の要所となっている。交通体系も変化し自家用車の普及がめざましく、過疎化の影響もあってバス便減少によっての不便さはいなめない。しかし、通行の難所であった真弓峠にも全長七二〇㍍のトンネルが昭和六三年四月五日に開通するなど、新しい地域づくりが着々と進んでいる。
   活動内容
  ア 教養・文化部
 成人講座、ふるさと納涼まつり、公民館まつり、伝統文化(父野川万歳)の保存伝承等を実施している。
  イ 産 業 部
 農林業に関する講習会、研修会を年三回、町外研修会を一回例年実施している。
  ウ 体 育 部
 父野川地区体育祭、ソフトボール・レクリエーションバレーボール大会、体力づくり教室を実施している。
  エ 厚 生 部
 婦人学級、町外先進地視察研修、敬老会等を実施している。
  オ 愛護班部
 愛護班の育成指導、花いっぱい運動、青少年の健全育成に努めている。
  ス 二名公民館
 昭和二九年、村議会において、公民館建設の村補助金の基準が決まってから急速に公民館建築が具体化した。しかし、同地域は、東西約六キロメートルの長い地区だけに場所の決定に非常に困難をきたした。二館説もあったが、各組、有志、青年団、婦人会等の代表者がお寺やお宮に集まり幾度となく議を重ね、ついに現在地に位置を決定した。その間約二か年を要し、昭和三二年一一月、落成をみたのである。
   施設・設備概況
  公民館  敷地面積  七七〇平方㍍
       建物面積  四八七平方㍍
 資金は、村補助金 二九九万円、地区外寄付金 三七万一〇〇〇円、地区内寄付金 一七六万五○○○円、その他 二万九八八〇円である。
 二名公民館区には、二名小学校区、父二峰小学校区(永久、徳好)の二校区があり、連携をはかりながら、公民館活動、地域づくりを行なっている。基盤整備をした水田が多く、米作中心の農業を営んでいる。現在、水田を利用したハウストマトの栽培が盛んになってきた。また、林家も多く良質の材木を生産している。製品加工の出来る製材所も二か所ある。
 地域には、文化財(瀬戸新四国、森田大師堂等)も多く、年間を通して熱心な見学者が訪れている。夏には、生涯教育推進の一環としての、「二名地区親子夕涼み大会」が、住民総参加のもと盛大に開催され、活性化の起爆剤となっている。道路網の整備等、着実に行われ、農林業の振興にも一段と力が加わり後継者も増えている。
 新農構、トータルライフ事業も導入され、機械化、合理化農業への移行、更に、診療所施設整備も加わり高齢者の生きがい促進にも寄与している。
 昭和六三年一二月一日現在、一七七世帯、五二〇人が生活している。
   活動内容
  ア 教 養 部
 成人講座、親子夕涼み大会、公民館まつり、伝統文化(獅子舞等)の保存伝承等を実施している。
  イ 産 業 部
 農林業に関する講習会、研修会を年三回、町外研修会を一回例年実施している。
  ウ 体 育 部
 二名地区体育祭、ソフトボール・レクリエーションバレーボール大会、マラソン大会、卓球大会、体力づくり教室を実施している。
  エ 厚 生 部
 地域婦人学級、町外先進地視察研修、花いっぱい運動、ふるさとクリーンデー、敬老会、公民館まつり等、中心となって活動している。

町民館施設概要

町民館施設概要


町民館の使用料金表

町民館の使用料金表


町民館利用状況

町民館利用状況


歴代館長・主事

歴代館長・主事


歴代公民館連絡協会長

歴代公民館連絡協会長


昭和62年度明神公民館決算書(一般会計)

昭和62年度明神公民館決算書(一般会計)


明神公民館館長主事一覧表

明神公民館館長主事一覧表


昭和62年度久万公民館決算書(一般会計)

昭和62年度久万公民館決算書(一般会計)


久万公民館館長主事一覧表

久万公民館館長主事一覧表


昭和62年度野尻公民館決算書(一般会計)

昭和62年度野尻公民館決算書(一般会計)