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久万町誌

5 壮年教育(壮年会)

  ア はじめに
 昭和四六年、社会教育審議会は、その答申の中で、急激な社会の変化に対応する社会教育の在り方について、生涯教育の必要性を示唆した。
 久万町では、地域・家庭で中核となっている壮年(三○~六〇歳)層の自主的組織を結成して、生産に必要な知識技能を身につけ、文化吸収と仲間づくりを推進し、地域における連帯意識の育成につとめ、明るく住みよい町づくりの実践力を培っていこうと「久万町壮年会」を結成することとなった。
 昭和四九年一一月一四日、各地区の壮年三七名が町民館に集合し、壮年会結成準備委員会を開催した。結成趣意書・規約案・事業計画案・結成大会の期日・日程等について審議した。なお準備委員によって会員を募集することになり、結果的に七〇一名の加入をみた。
 一二月一五日、結成大会を会員二一三名の出席を得て開催し、熱意のある討論がなされ、ここに「久万町壮年会」が誕生した。
  イ 活動内容
 昭和四九年度、初めて壮年大学を開催した。
 昭和五〇年度、壮年大学、年間五回昼間に実施。会員バッヂ(図案・父二峰中大西和章)を作製頒布した。機関紙「つながり」を年四回発行し始めた。
 昭和五一年夏、壮年大学の開催方法を変更した。夜間に町民館で三回、昼間同じく町民館で一回、各分会で一回の計五回とした。壮年手帳の配布を始めた。各分会で地下足袋ソフトボール大会を始めた。
 昭和五二年度、壮年大学の一つとして「町づくり研究会」シンポジウムを開催。きき酒コンクールを実施した。
 昭和五三年度、久万町壮年議会「久万町の将来を考える」を実施した。
 昭和五四年度、第一回壮年ソフトボール中央大会を実施し、久万分会が優勝した。町づくり討論会を行った。
 昭和五五年度、昼間一回の壮年大学を中止し、久万分会でも巡回壮年大学を実施することとした。  
 昭和五六年度、県壮年連絡協議会が結成され、久万壮年会の佐伯正俊会長が会長に就任した。初めて同和問題学習に取り組んだ。壮年会の歌が制定された。
  作詞 大田正志
  作曲 森永妙子
 昭和五七年度、町づくりシンポジュウム「明るい選挙をどう進めるか」を実施した。壮年会の歌の発表会を行った。
 昭和五八年度、壮年会結成一○周年を記念する行事を盛大に行った。久万町壮年会旗の制定。一〇周年記念誌「一〇年のあゆみ」を発刊した。「上方演芸会」と題して、大阪より、ザ・ボンチ、宮川大助・花子、マジック中島、林家市染を招いて地域の人々に観賞の機会を提供した。
 壮年会は、地域の教育・産業・文化の進歩発展のために大きな力を発揮している。森林組合、農協商工組合等での活躍も評価できる。
 政治面では、町議の全町一区制の決定には大きな力を発揮したと言え機関紙「つながり」の発行、各種会合における壮年会の歌の斉唱、実践綱領の唱和は会員のつながりを深めると共に志気を高めている。

久万町壮年会会員数

久万町壮年会会員数


昭和62年度久万町壮年会決算書

昭和62年度久万町壮年会決算書


久万町壮年会実践綱領

久万町壮年会実践綱領


久万町壮年会役員名簿

久万町壮年会役員名簿