データベース『えひめの記憶』
久万町誌
7 PTA・愛護班
ア PTA
はじめに
PTAは、もともとアメリカの子供を守る母親の運動から発足したものである。一八九七年、バーニィ婦人の提唱からはじまり、有志の母親たちの運動は、やがて父親も教師も巻き込み、全米的な広がりをもって発展していったと伝えられている。
日本では、戦後間もなく来日したアメリカ教育使節団によって、PTAが紹介され、極めて短期間に全国の小・中学校のすべてに設置された。
久万町におけるPTA組織は、昭和二二、二三年の間に一校ももれることなくできあがった。そして、在学児童・生徒の親が会員となって会費を均等に出しあうしくみで出発した。
活動内容
PTA発足当初のおもな活動は、教育施設や設備が公費で間に合わず、教材、教具さえも十分でなかったところから、学校に対する財政的な援助が中心となった。やがてこれが定着化していった。すなわち、戦後の混乱の中で、学校教育が急務とされながら、なにひとつ条件が整っていないことを憂い、父母が立ちあがったのである。校舎の敷地造成や建築への奉仕作業をはじめ、下刈作業、映画興行などを行い、その収益を教育教材の充実に充て、施設設備の不備を補い、子供を守ったのである。これは学校教育の発展に大きな意義を持つ活動であった。
昭和三五年ごろから、ようやくPTAの根本的反省と改他の機運が起こった。義務教育公費負担の運動を進めるとともに、PTA本来の目的が確認され、社会教育団体としてのあり方が討議されるようになった。つまりPTAは、親と教師の会であって、よい親、よい教師になるために組織された成人教育団体であることが認識されたわけである。
昭和三八年七月、久万町内各単位PTA相互の連絡提携を図り、教育の振興に寄与することを目的として久万町PTA連絡協議会が結成された。この協議会は各単位PTA会長、副会長、学校長、教頭で組織され、毎年一回の総会と単P会長会などをもち、横の連絡調整をはかりながら町全体のPTA活動を盛り上げるのに役立てられた。
昭和四五年七月、会員の研修と単P活動の成果を持ちより、みんながよい親、よい教師となるために交流し合おうということで、畑野川小学校において第一回久万町PTA研究大会を開催した。この大会では子供たちの成長に直接責任のある父母と教師が集まり、家庭や社会で起こっている問題を三つの分科会で真剣に研究討議した。その後、毎年一回七月に、各校を巡回して大会を開いてきた。昭和四八年七月九日、父二峰中学校で「定刻開会、定刻閉会を守ろう。テレビの見方を親として考え研修に努めよう。」と申しあわせて第四回大会を飾った。
各学校では、PTAが中心となって昭和三二年ごろから学校給食を実施していたが、物質購入価格に各校で差があったため、同じ町内の生徒に同じ給食を、同じ給食費で食べさせたいという意見が起こってきた。昭和四四年ごろよりPTA、校長会などで再三の会合を重ねて研究を続けた。その結果、町関係者にお願いして、昭和四七年度に県下でも優秀な学校給食センターの完成を見たわけである。
昭和四五年三月には、PTAや婦人会が中心となり、第一回の新就職者激励会を開催した。この激励会には町内四中学校の就職生八六名が参加した。式典、就職生の意見発表やかくし芸、サイン会、婦人会員の踊りなどが行われ、楽しいひとときが持たれた。また、正しい職業観を身につけ、誇りをもって強くたくましく生き抜くよう激励されもした。
久万町におけるPTAは、結成当時から学校施設の整備補充を行う団体としての性格を持ち、校区が一体となって活動してきた。つまり地域では最も大きな規模であり多くの成果をあげてきた。しかしながら、義務教育の公費負担が増加するにつれて、会員の自己学習要求も高まり、学習を主体とする本来の社会教育団体としての認識を高めていった。PTA活動は戦後の施設づくり、完全給食の実施など全町に広がったのをはじめ、毎年定期的に講演会、研修会などを開催してきた。今では、研修なしのPTAは考えられなくなった。
久万町内のPTAの課題は、教育環境の整備をはかるとともに、会員自らが学習し、その影響を児童の健全育成と学力向上に直接結びつけることである。そのためには、父親の参加と学習意欲の高揚を図ることを考えなければならない。例えば参観日と他の行事を合わせ、一人残らず喜んで参加できる方法を考えることなどが必要である。更に学校、家庭、社会の横の連絡を密にして、地域では幼・小・中PTAが一体となり、地域ぐるみの教育活動を推進する姿勢をうち立てていかなければならない。
イ 愛 護 班
昭和三五年ごろから急速に都市化が進行し、青年の都会への流出が著しく、農村の過疎化現象に拍車がかかってきた。人間関係は稀薄となり、連帯感は失われ、金の力で何でもできる、金こそ最高の価値であるという、金銭至上主義の時代となった。三無主義と呼ばれる風潮が広がり、それまで沈静化していた青少年の非行が再び増加の兆しを見せはじめた。事実、昭和三七年には戦後第二のピークを迎えたのである。このような変化をいち早く察知した県PTAは、PTAを中核として地域総ぐるみで、青少年の健全育成を図るために、改めて「愛護班」を結成することを提唱し推進した。
愛護班活動のねらいは、学校・家庭・地域社会における子供の生活を指導援助するため地域の大人たちが小集団をつくって次のような実践活動をするところにある。
不良化防止活動、地域子供会の育成、交通、水難等の事故防止活動、レクリエーション活動、班員の学習活助、環境整備活動等。
久万町でも各方面の指導や助言によって愛護班結成の機運が高まってきた。最初の愛護班は、昭和三八年六月に東明神本組で結成されたものであった。親子運動会、映画鑑賞会、夫婦座談会を開催したことが記録されている。
愛護班の結成の方法には様々な形があるが、公民館活動の一つとして結成するとか、PTAの中に愛護部を置くとか、その地域に適した方法がとられた。昭和四二年、町内には五八の愛護班が結成されていたが、六三年度には二五班に減少している。子供の数が減少したことが大きな原因である。
久万町では、青少年の生活圏の広域化、遊びの多様化等に対応して、昭和五七年六月二八日、久万町愛護班連絡協議会を結成し、情報の交換、学習内容の充実等に努力している。
久万町愛護班連絡協議会会則
(名称及び事務所)
第一条 この会は久万町愛護班連絡協議会という。
2 事務所は久万町教育委員会内におく。
(目 的)
第二条 この会は、青少年の健全育成を図るための事業を推進する。
(会の構成)
第三条 この会は、青少年の育成指導を目的とし、単位愛護班をも
って構成する。
(事 業)
第四条 この会は、第二条の目的を違成するため次の事業を行う。
一 愛護班活動に関する調査、研究及び資料の収集並びに配布
二 研究会及び講習会の開催
三 行政機関及び関係団体との提携
四 その他青少年の青成指導に関すること
(役 員)
第五条 この会に次の役員をおく。
一 会 長 一 名
二 副会長 三 名(但し一名は久万町PTA連絡協議会から選任する。)
三 事務局長 一 名
四 幹 事 若干名
五 監 査 二 名
六 顧 問 若干名
2 会長、副会長、事務局長、及び監査は総会において選出する。
3 幹事は、各単位愛護班より、推薦し総会で承認する。
4 顧問は、幹事会の承認を得て会長か委嘱する。
(役員の任期)
第六条 役員の任期は一年とする。ただし、再任はさまたげない。
ただし、補欠役員の任期は前任者の残任期間とする。
(役員の職務)
第七条 役員の職務は、次のとおりとする。
一 会長は、会を代表し、会務を総括する。
二 副会長は、会長を補佐し、会長事故あるときは、その職務を代行する。代行の順位は会長が、あらかじめ定めておくものとする。
三 事務局長は、この会の運営に必要な事務を処理する。
四 監査は、この会の会計を監査する。
(会 議)
第八条 この会を運営するために、つぎの会議を設ける。
一 総 会 二 幹事会 三 会長会
(総 会)
第九条 総会は、毎年一回、会長が招集する。
2 総会の審議事項は、次のとおりとする。
一 事業方針の決定 二 予算の決定 三 会則の変更
四 役員の選出 五 その他特に必要なこと
3 総会は、単位愛護班の若干名の代議員をもって構成する。
4 総会の議事は、出席者の過半数をもって決定する。
(幹 事 会)
第一〇条 幹事会は、第五条の役員をもって構成する。ただし監査は除くものとする。
2 幹事会は総会の決定事項及び総会で付託された事項について、決議執行する。
3 幹事会の招集は、必要のつど会長が招集する。
(会 長 会)
第一一条 会長会は、会長、副会長、事務局長をもって構成する。
2 会長会は、会の運営に関する事項の計画立案及び役員会で付託された事項について調査研究する。
3 会長会は、必要のつど会長が招集する。
(顧 問)
第三条 顧問は会長の相談に応じ、会議に出席して意見をのべることができる。
(経 費)
第一三条 この会の経費は、会費、補助金、寄付金、その他の収入をもってあてる。
第一四条 この会の会計年度は、毎年四月一日から翌年の三月三一日までとする。
(附 則)
この会則は昭和五七年六月二八日より施行する。