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久万町誌

三 公選制から任命制へ

 昭和三一年一〇月の教育委員の改選期を迎えることになり、政府は、各種の審議機関の答申、勧告等を参考にして、教育委員会制度に大幅な改革を加える「地方教育行政の組織及び運営に関する法律案」を第三四国会に提出した。激しい論争の結果、両院において原案どおり可決成立し、昭和三一年六月三〇日に公布されるに至ったのである。
 教育委員会制度を改正するにあたり、特に考慮を払った点は次のとおりである。
 「第一に、地方公共団体における教育行政と一般行政との調和を図るとともに、教育の政治的中立と教育行政の安定を確保することを目標」とし、「教育の振興のために、わけても義務教育の普及を図るために教育に関する事務の相当な部分を市町村が担当しており、学校その他の教育施設の整備だけでなく、学校の運営を管理助成し、教職員の指導に努め、社会教育の振興を図る上には、この市町村に期待するところ大なるものがあるとして、その上町村合併の進展の結果、市町村の行政能力は強化されようとしているのであるから、この法律案は、都道府県のみならずすべての市町村の合議体の執行機関として教育委員会を存置する」こととし、「委員の選任方法は直接公選の制度を改め、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命すること等の措置を講ずるとともに、教育委員会と知事や市町村長との間の権限に調整を加えることにしたものである。すなわち、いわゆる予算案、条例案の二本建制度を廃止するとともに、教育財産の取得および処分の権限、教育事務にかかる契約の締結の権限、収入または支出の命令の権限を知事や市町村長に移すこととして、両者の関係を調整し、地方公共団体における教育行政の円滑な運営とその振興を図る。」
 「第二に、国、都道府県、市町村一体としての教育制度を樹立」するために、「現行の教育委員会法が個々の地方団体ごとの教育事務処理を強調しているのにとどまるに対し、この法案では次のごとく是正されている。すなわち、小、中学校の教職員などの人事権を都道府県が行使することとした。これは一つには、これらの教職員の適正な配置と人事交流を促進するということを考慮したものであり、さらに給与の負担団体と任命権者の属する団体とを一致させることとしたものである。」更に「文部大臣や都道府県教育委員会の積極的な指導的地位を明らかにするとともに、文部大臣は、教育委員会や地方公共団体の長の事務処理に、法令違反等の事由がある場合には必要な是正措置を要求して、教育行政の適正な運営を確保する。」
 「教育長の任命については、文部大臣なり、都道府県の教育委員会なりの承認を要することといたしたいゆえんのものは、教育委員会における教育長の地位に照らし、これにより、教育行政の国、都道府県、市町村一体としての運営を期したいと考えたからにほかならない。」と、した。
 このように、改正の重点は教育委員の選任を公選制から任命制に改めたこと、一般行政と教育行政の調整をはかったこと、国、都道府県、市町村を一体とした教育行政制度を確立したこと、教職員の人事制度を改めたことである。こうして、新教育委員会制度は、昭和三一年一〇月一日から全面的に発足することになった。
 昭和三〇年四月、町長、町議員の任期か満了となり、町長選挙が行われることになった。教育委員の宇都宮音吉、相原芳太の両人が教育委員を辞任し、町長選挙に候補者として立つことになり、町艮と教育委員の改選が合わせて行われ、昭和三〇年五月一日、全委員が新たに就任した。
 昭和三一年九月三〇日、委員の公選制は任命制に改められた。

旧久万町の教育委員会委員(選挙制)

旧久万町の教育委員会委員(選挙制)