データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

久万町誌

一 美術館建設の動機

 井部栄治先生か久万町ご出身で、林業を中心に活躍され、町政・県政など地方行政の面でも大きな足跡を残された方であることは、町民の方々も十分承知されていることと思う。今回久万町菅生に誕生する町立久万美術館は、この井部先生か全てのきっかけを作られたものである。
 先生は昭和二〇~三〇年代を中心に、早くから美術方面に関心を示され、以降熱心なご研究で美術史全般に深い認識を持たれ、大変見識の高い作品群を収集されていた。このことは、その道の人々の間では大変興味深いこととなっていたが、詳細全貌はほとんど知られることもなかった。
 その井部先生が政界から手を引かれ、久万町の森林組合長をなさっておられたころ、雑談の中で河野修現町長に時折話しかけてこられたようだ。「河野君、久万に美術館を作らんかね。少しはいいものもあって、新聞社が借りに来ることもあるのよ。考えてみんかね。」町長は以後ずっとそのお話が心に残り、いろいろ思案をめぐらされたようだ。「先生のすばらしいコレクションはいただきたいし…」「しかし、それを十分生かしきる美術館が久万にできるものだろうか?」「町民のみなさんの同意を得ることはできるものだろうか…」
 このような状況がずっと続いていた中での約三年前、このお話は急速に進展することになった。昭和六一年の五月、日本画家の石井南放先生が松山から久万町舎へ来られ、井部先生とご家族の方々のご好意で、コレクションを久万町へ寄贈していただける方向に進むことになった。そして、石井先生は、「井部先生のコレクションはどういう内容のもので、どういう意味をもつものか」また、「ご寄贈いただくに当っては、町内でどういう状況を整えていくことが望ましいか」「美術館が町にあることは、どういうことなのか」等、広い角度からいろいろお話下さった。
 これを受けて町内では、早速検討が始まった。町の理事者、議会の方々、識者美術文化関係の方々など、時間をかけて熱心に、かつ慎重に議論が繰り返された。その結果議会の方々を中心に大変深い理解と同意を得るところとなり、町長はついに決断することになった。そして、「久万に、町立美術館を建てよう」「この美術館には、井部先生にいただくコレクショソを収蔵し、優れた展示と保存をしていこう」「久万町に作る美術館は、木の町にふさわしい木造美術館にしよう」 町として、これらの方向に進んでいくことになった。