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久万町誌

二 建設への経過

・昭和六一年 七月 二日
 久万美術館建設研究会を開催。井部コレクションを町へ寄贈いただくことの趣旨説明を行い、参加者である各種団体の代表者や有識者から美術館建設についての率直な意見を拝聴した。全体として建設を望む意見で一致した。
・同  年  一〇月一一日
 久万町美術館建設専門委員会を開催。委員長上岡義幸氏、副委員長野村政良氏を選任、建設への経過説明を町理事者が行い、用地選定確保、県内美術館視察などを決めて、美術館建設に備えることになった。
・昭和六二年 三月一八日
 美術館建設を議決した。翌一九日、第三回美術館建設専門委員会を開催。菅生のアメニティゾーンに位置する久万公園の南高台の現在地に、美術館建設予定地を決める。久万町内や、遠く四国山脈が望める県道沿いの杉木立に囲まれた最高の環境地である。
・同  年  四月七日
 ある方の紹介で建築家であり文化庁文化財保護部主任文化財調査官半澤重信先生に面会、林業の町にふさわしい木造美術館を建てようと思っているのだが、はたして可能なのかどうか。館の運営上にさしさわりはないのだろうか。文化庁の見解をたずねた。先生は、「美術館は、先ず、美術品を立派に保存することに有る。木は一番それに適している。日本古来からのすばらしい保存法、その保守的な良さを積極的に活用して行こうという久万町の考え方は大変すばらしい。問題かあるどころか、大いにけっこうです。こういう美術館が全国でせめて一ヶ所くらいは有ってほしいと私は願っていたところです。」と、おどろきと少し興奮ぎみに話された。そして、「できる限り私にもお手伝いをさせて下さい。ご協力いたします。」と進んで協力を申し出られた。以来設計から建築現場まで、さらに照明や空調に至るまで丁寧に御指導をいただいた。
・同  年  四月二二日
 大手設計業者の中から美術館等に経験豊富な五社を指名して競争入札を行った結果、㈱日本総合建築事務所に決定した。
・同  年  四月三〇日
 まちづくり特別対策事業(美術館建設事業)のヒヤリングが県庁で行われた。
・同  年  五月 八日
 基本設計提出。これまでは設計業者側のアイデアで進んできた。
・同  年  五月一九日
 六二年度の第一回久万美術館専門委員会を開催。町議会議員選挙のため一部委員の交替が有り、新しい委員長に西岡忠義氏を選任して、菅生の建設地を視察、基本設計書をもとに検討を行った。
・同  年  六月一七日
 町長の諮問機関として、専門家による美術館基本構想委員会が発足、基本構想の検討を開始した。以後五回会議を開く。
・同  年  六月中旬
 建設用地の買収を完了した。
・同  年  九月一四日
 町長へ基本構想の答申を行った。理念、機能、資料、組織、展示、教育普及、施設、名称、将来計画の九項目から成り、久万美術館か進むべき方向を示している。なお、この期間中、美術館の運営面や、観覧者の動線などを考慮した平面計画、展示計画、保存上の問題点など実施設計に向けての適切な助言も行われた。 
・同  年 一〇月一九日
 大手の建設業者一一社による工事請負入札を実施した結果、㈱熊谷組に決定した。
・同  年 一〇月二三日
 臨時町議会を開催、建築工事の契約案件が議決され美術館建築が現実のものとなった。
・同  年 一一月一八日
 美術館開館準備委員会が発足、開館へ向けて準備か進められることになった。
・同  年 一二月 四日
 およそ一ヵ月前から取りかかっていた造成工事も終り、うっすらと雪化粧された建設地で起工式が行われた。同年八月、建築に先かけて建築部材の検討を行い、展示室の陸梁や登梁の長尺ものの特殊材を、早速町有林で伐倒した。一一月上旬、この調達材を搬出、松山の製材所で製材して建築に備えた。主要な構造部材は久万産の杉桧が使用され、その材積は一八〇立方メートルに及ぶ。
・昭和六三年 七月三一日
 起工式からおよそ八ヵ月後に、一部庭園等の工事を残して竣工した。
・同  年 一一月一〇日
 町立久万美術館の落成式を行う。町内関係者、設計施工業者等約九〇名が参加した。