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久万町誌

あとがき

 このたび、久万町合併三十周年の記念事業の一環として、「久万町誌」増補改訂版が発刊されることになりましたことは、まことに喜ばしいことであります。
 今回発刊される町誌は、既刊(昭和四十三年)のものに、その後の二十年間の町の政治、経済、教育文化などの歩みを編集増補(追加)したものであります。
 昭和四十三年からの二十年というのは、単なる暦年の二十年ではなく、国の内外にわたって文字通り、激動、変化、成長の二十年でありました。わが久万町におきましても、間近に迫った二十一世紀を指向しながら、有史以来、先人・先輩の築いた町づくりの確かな土台の上に立って、大いなる飛躍、進展の二十年であったと思います。
 しかし、その間には、多くの課題と困難があり、それを克服し乗り越えるための苦しみと喜び、そして、美しく豊かな自然と人間の織りなすドラマがありました。
 これらの歩みをたどり、そこで発揮された先輩、町民の知恵と情熱、血と汗で積み重ねられた業績の集大成を、永く後世に伝えることは、私たちの責務であると考え、合併三十周年という節目を期して、町誌の増補改訂版の発刊が計画された次第であります。
 「歴史は鑑である」といわれております。町誌の意義、必要性は今更申し上げるまでもありませんが、さらに私は『愛は知ることによって始まり、より深まる』ものと考えております。郷土を愛する心は、郷土を正しく知ることによって、ますます深まっていくものと思います。そういう観点から、本誌の編集委員は、すべて町職員と町内の小中学校に勤務する教職員の方々にお願いしました。
 本誌の編集にあたっては、先ず第一に史実(事実)に忠実であるよう心掛けました。編集委員の方々も、収集した資料の整合性、記録の信憑性などに留意しながら、調査、研究を重ね、各部門間の連絡、調整を密にしていただきました。また、記述についても、文体や表現の統一、特に誤解を受ける恐れがあると思われるようなものは、でき得る限りの配慮をしましたが、決して完全なものではなく、若干の問題点もあるのではないかと思います。
 その事例の一つとして、本誌の記述の中に「部落」という用語が使われている箇所があります。これは今日、差別につながる表現として不適切な用語ではないかとのご指摘を受けるのではないかと思いますが、決してそのような意味を含むものではありません。わが国の歴史的、社会的機構の中で、一般的に使用されてきました「比較的少数の家を構成する地縁的団体」、いわゆる集落の小単位としての呼称(組ともいう)を指すものであり、当時の社会機構や住民の生活実態を理解していただくために、やむを得ず使用したものであります。ここに、あえて付言し、ご理解をいただきたいと存じます。このようなものを含めて、資料や記録の不備など、内容的にも形式的にも、まだまだ今後に残された課題もあろうかとは思いますが、ご教示、ご指導をお願い申し上げます。
 本誌の発刊が計画され、編集に着手しましてから、予想以上の月日が経過し まことに申し訳けなく存じます。これは、先に申しましたように、編集委員がそれぞれに多忙な日常の公務に従事しながら、そのあい間や余暇を利用しての、資料の収集・整理・執筆・編集と、積極的なご努力をいただいた結果であり、ご理解を賜りますようお願い申し上げますと共に、各方面にいろいろとご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
 ここにあらためて、編集委員をはじめ資料の提供などにご協力くださった各種関係機関、団体、多くの町内外関係者の方々はもとより、特に、本誌編集のため、原稿のとりまとめ、校正等、編集業務全般について、長い間ご尽力いただきました、田坂正教氏のご苦労とご協力、また、ぎょうせいの本書出版にご尽力くださった方々、わけても山内昭司氏に対し、心からの敬意を表し、厚くお礼を申し上げます。
 本誌発刊を機に、みどり豊かな自然と共生する高原の町、久万町が二十一世紀への新たなる発展のよすが、町民連帯・協調の心のかけ橋になればと念じ、合わせて編集の不備を謝し、とりまとめのことばといたします。
   平成元年十一月 
       編集副委員長 久万町教育委員会教育長 日野 嘉彦