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面河村誌

発刊にあたって

 石鎚の聖流郷我が面河村は、天下に誇る山渓の観光地として開発されました。この広大な自然と住民の織りなす地道な文化の遺産。一〇〇年に余る歴史の中で多くの先人たちが、英知と協働によって作り出した血と汗の結晶。私はその御労苦に対して深甚なる感謝と敬意を捧げるものであります。
 世の変遷は必ずしも陽の当たる時ばかりではなく、未曾有の過疎に見舞われてはいるものの、この豊かな自然資源を生かした産業の開発は、今後ますますその重要度を増し、新しい面河村への脱皮が期待されております。この新しい脱皮は、先人の偉大な業績とその志を継承し発展させるべき私たちの任務であり、住民に課せられた責務でもありましょう。
 明治は遠くなりましたが芳紀正に一九八〇年、この記念すべき年に長年の願望であった村誌が発刊されましたことはまことに御同慶にたえません。
村の過去を知るということは祖先の辛苦をしのび、生活の智恵とその心を学び、郷土のよさを知ることでありましょう。
 また、現在を見つめるということは「温故知新」の心、すなわち過去における業績の価値を認識して創造の道を見つけることでありましょう。
 そして、さらに未来を展望するということは、見つけたその道をみんなでたくましく歩いていくその足でありましょう。
 ここに発刊されました村誌はまたとない生きた資料でありまして、生きがいを高めることや、村の発展のための指標にしていただきたいものであります。
 村誌の編集を企画してくださったかたがたや、編集のために本務のかたわら日夜を分かたず資料を収集し、まとめていただいた多くのかたがた、また、校正や完成のために目に見えない御心労をわずらわした関係者各位に対し心よりお礼を申し上げるとともに、この村誌が、明日からの村民各位の心の糧となり、絆となって、水と緑と空気と人が一体となった住みよいふるさとになることを祈念して村誌発刊の言葉といたします。
  昭和五十五年二月
                 面河村議会議長 菅  福 定