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面河村誌

五 郷土の伝承

 我が村は海抜一九八二メートルの石鎚山の南斜面をなす高山地帯で、冬季の寒冷は厳しく積雪も多い。恐らく歴史時代に入っても千古斧鉞を入れぬ原生林に覆われて長年月を経たものと思われ、平地からの開拓はよほど時代が下るのであろう。
 いつのころか、若宮氏と称する杣職が入山して石墨山・黒妙山などの森林を伐採し、開墾に従ったという口碑がある。これが杣野開拓の始まりで、杣野では若宮氏を土地の元祖神として戸ごとに祭り伝えているとある(杣川村郷土誌)。
 村内の神社には古い由緒を伝えるものがある。笠方の八社神社は和銅六年(七一三)、中組の三社神社は延暦二十三年(八〇四)、本組の八幡神社は延久三年(一〇七一)にそれぞれ創建されたと言われている。
 源平合戦に敗れた平家の落人が相名峠・割石峠越えをしてこの地に落ち延びたとか、若山から高台越えで土佐椿山への道すがら村人から一飯を恵まれた落人が、好意を謝して残したといわれる茶釜が現存している。また妙の妙見・土泥の藤左衛門・大成の露ロの三兄弟は、それぞれの集落の開祖と伝えられる。
 こうした中で、特に大味川六人衆というものが著名であるので、現存する文書をそのまま次に掲載しておく。