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面河村誌

七 第一次世界大戦

 大正三年(一九一四)六月十八日、セルヴィアの一青年が、オーストリア皇太子を暗殺した事件は、汎ゲルマン主義(ドイツ帝国のもとに、すべてのドイツ民族を結合して、ドイツ民族の世界支配をうちたてようとする主張)と汎スラブ主義(ロシア帝国のもとに、スラブ民族の吸収合併を志向する主張)との葛藤を破局に追い込み、第一次世界大戦の導火線となった。
 ドイツ、オーストリア、トルコ、ブルガリアを一方とし、英・仏・露・伊・米・日本・中国など二一か国を他方として行われた戦争である。この戦争は、欧州大陸が主戦場で、戦車・爆撃機・毒ガスなどの新兵器が投入され、さらにドイツの無制限潜水艦作戦で、イギリスを窮地に追い込んだ。戦死者約一〇〇〇万人という。
 日本は、大正三年八月、ドイツに対して宣戦布告。第一艦隊は、ヤルート島に上陸、南洋諸島のドイツ領を占領した。
 山東半島の青島は、清国北洋艦隊の前衛基地であったが、一八九七年ドイツ軍が占領、帝政ドイツの東洋における、軍事的、経済的な根拠となった。
 大正三年九月、日本軍は山東省竜口に上陸、十一月七日青島を占領、直ちに軍政を施行、ドイツの権益いっさいを引き継いだ。守備隊に海軍三等兵曹中川安市(若山)が勤務している。
 ドイツ軍の捕虜の一部は、松山に抑留された。
 大正六年(一九一七)三月、ロシアに革命が起こり、ロマノフ王朝が崩壊、さらに十月革命で、レーニン・トロッキーを首班とする、ソビエト政府を樹立した。
 大正七年十一月、社会主義勢力の高揚によって点火されたドイツ革命は、カイゼル皇帝の退位により、共和国となった。
 大正八年(一九一九)一月十八日、パリ郊外ベルサイユ宮殿において、ドイツと連合国間に、第一次世界大戦の講和会議が開催され、同年六月二十八日調印された。
 国際連盟、領土の再分配、民族の独立などいわゆるベルサイユ体制は、ドイツの軍国主義阻止以上に、ドイツ国民に重圧を課し、民族自決の原則も歪められ、やがて、ナチスが台頭する契機となり、東洋においては、満州事変でベルサイユ体制が崩壊する事態を招いたのである。