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面河村誌

二 満州事変

 大正八年(一九一九)、政府は関東軍司令部条令を公布、日本帝国主義の大陸侵略の軍事的中枢として、優秀なる部隊をもって構成、その司令部を満州長春(新京)に置いた。
 それは単に権益保護を目的とせず、日本の満州植民地化実現にあたって、その推進力として中央(日本政府)に独立して政治活動を行い、満州事変を起こし、傀儡政府満州国を樹立した。関東軍一〇〇万と号するその兵力は、当時の世界を瞠目させた。
 昭和三年(一九二八)六月、満州奉天督軍大元帥張作霖は、国民政府蒋介石の北伐軍に押されて奉天に向かう途中、藩陽駅(奉天)に入る直前、関東軍に列車を爆破され、列車ごと吹き飛ばされ爆殺された。
 昭和六年(一九三一)九月十八日、満州藩陽駅(奉天)付近の柳条溝における、南満州鉄道線の爆破事件をきっかけとして関東軍は軍事行動を開始した。
 日本、中国間の武力衝突がその発端で、朝鮮駐屯軍(日本)は、鴨緑江を渡り満州へ出動した。
 若槻礼次郎内閣は、この事変の不拡大方針をとったが、軍部を抑えるのに失敗、現地の軍事行動は上海事変をも起こして戦争はしだいに拡大した。
 満州事変は、一九二七年、二八年の金融大恐慌で、危機に立った日本資本主義経済の切り抜けと、満州の植民地化のため、関東軍の満州における権益保持、世界資本主義の危機が、極東において爆発したもので、太平洋戦争の口火は、この時に切られたともいえる。