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面河村誌

一 飛脚から郵便局へ

 鎌倉時代から、信書などの通信送達を業とした飛脚があり、定期的な通信機関としては、江戸時代から明治初年にかけて発達した。
 明治五年(一八七二)には、東京大阪間に電信(電報)が開通、同年全国に郵便が施行され、明治十八年(一八八五)には、逓信省が設置され、郵便・電信・電話などの業務が逐次整備されるに至った。
 明治七年(一八七四)久万町に郵便取扱所が設けられ、明治八年松山に郵便局が設置されている。本県においても順次こうした業務が整備された。
 明治三十五年(一九〇二)三月一日、渋草に杣野郵便局が開設され、初代郵便局長に、八木胤愛が就任した。当時はいわゆる三等郵便局と称され、局長の請負経営、逓信省の直轄局ではなかった。それ故にその局長には、その地方の資産家、名望ある者がみずから郵便局長となったものである。
 明治三十九年(一九〇六)渋草郵便局と改称、昭和六年同地一一番耕地一四三ノ第一に移転、昭和九年面河郵便局と改称、昭和三十年(一九五五)(局長菅広綱)現位置(一一番耕地五六番第三)に、新築移転した。