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面河村誌

二 郵便逓送人と集配人

 明治三十五年杣野郵便局が開設された当時、上浮穴郡久万郷の郵便業務の中心は、久万郵便局であった。渋草杣野郵便局から、札ノ峠、相ノ峰、畑野川から久万郵便局まで、一日一往復、逓送という運び人風呂敷・油紙で、しっかりと郵便物を荷造り、肩に担いで山坂を、まるで江戸時代の飛脚の姿そのままであった。
 村内の集配人はたった二人で雨の日・風の日・また雪の日も、三度笠・草鞋履きで大きな鞄を肩に、年中休みなく村内を回ったものである。
 大正五年ごろ寒い冬の日、若山回りの集配入野口某が、帰りの夜道を誤って面河川に落ち、中ヶ市橋下の淵に、鞄をかけたまま、長々と沈んでいたのが、今でも目に浮かんでくる。一枚のはがきを配達するにも、それほど苦労があったものである。
 渋草の郵民局から村外の郵便局への逓送も久万局から仕七川局、温泉郡川上局と変わり、昭和七年から昭和四十七年まで、伊予鉄定期乗合バスを利用して委託運送、それより以降は、郵便専用自動車で逓送するようになった。
 村内の集配業務も県道の開通につれて一部の地区を除き自転車を利用、昭和三十五年から単車(機動車)でスピードアップ、現在七人が専従している。

愛媛県伊予国杣野局市外集配線路図(明治35年3月1日施行)

愛媛県伊予国杣野局市外集配線路図(明治35年3月1日施行)