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面河村誌

一 村内医療の沿革

 当時交通事情の悪い農山村にあって医療施設は重大な問題であるが、個人開業医としては成立しない本村にあっては、古くから村営診療所として村民医療を実施してきたようである。
  自 大正 十三年 九月 三十日  
  至 昭和  三年         医 師  岡 田 胤 茂
  自 昭和  三年 八月  五日
  至 不 明            医 師  田 中 精 一
  自 昭和 十四年
  至 不 明            医 師  松 元 重 憲
  自 昭和 十九年十二月 十四日
  至 昭和二十一年 五月  七日  医 師  栗 田 祐 賀
  自 昭和二十一年 五月  八日
  至 昭和二十三年 五月  九日  医 師  大 上 富次郎
  自 昭和二十三年 五月  十日
  至 昭和二十二年 三月      医 師  中 村 正 一
  自 昭和二十二年 四月二十六日
  至 昭和三十四年 十月三十一日  所 長  大 津 正 次
      自 昭三二、五、二〇
      至 昭三三、二、二八   医 師  宮 島   暉
      自 昭三三、二、七
      至 昭三五、一、四    医 師  重 城 範 嘉
  自 昭和三十五年 一月  一日
  至 昭和三十七年 五月三十一日  所 長  宮 原   茂
      自 昭三五、二、一
      至 昭三七、三、二六   医 師  鮫 島   巌
      自 昭三六、一一、二二
      至 昭三七、五、三一   医 師  乗 田 利 夫
  自 昭和三十七年 六月  一日
  至 昭和三十八年 五月三十一日  所 長  乗 田 利 夫
  自 昭和三十八年 十月  一日
  至 昭和四十四年 三月三十一日  所 長  日 高 武 邦
  自 昭和四十四年 四月  一日
  至 昭和四十六年十二月三十一日  所 長  西   醇 夫
  自 昭和四十七年 一月  一日
  至 現在(昭和五十四年九月現在) 所 長  伊 藤 蔦 子
 (村医雇入契約の一例)
   契  約  書
 杣川村助役遠藤仁平を甲者とし岡田胤茂を乙者とし左記事項を契約す。
 一 甲者は杣川村を代表し、乙者を杣川村々医として招へいす。
 一 乙者は甲者の招へいに応じ杣川村に転住し医術を開業し、杣川村医たることを承認す。
 一 甲者は乙者には対し手当金年額金五百円也を支給す。大正十三年度は月割とし九月より翌年三月まで分七ヶ月分を前渡支給す。
 一 大正十四年四月よりは手当金年額金八百円也を支給す。支給期は月割をもって計算し毎月末に支給す。 
 一 乙者の住宅は甲者より無料提供す。破損の時は乙者の指示通り即時修繕す。修繕費は甲者の負担とす。
 一 住宅及病室は新築すべし。当該契約締結と同時に建築に関する設計万般を甲者乙者相協定し建築に着手すべし。
 一 住宅及病室を新築すると言えども其新築のため乙者の一定永住を拘束することなし。
 一 乙者乗用の馬匹を壱頭甲者より提供す。但当分の間、愛馬倶楽部馬匹を併用し、乗馬熟練したる際買収の上甲者より提供するものとす。乙者の専用となりたる時は飼養料は乙者の負担とす。
 一 往診料及薬価は如何なる場合を論ぜず。一切現金即納とす。
 一 往診料規定渋草全部無料とし笠方壱円五拾銭乃至弐円五拾銭、大成壱円、相ノ峰壱円五拾銭、前組弐円乃至弐円五拾銭、本組弐円、中組壱円五拾銭乃至弐円、梅ヶ市弐円五拾銭、若山弐円五拾銭乃至参円
 一 風雨降雪夜間は五割増とす。
 一 村医手当に対する無料義務、種痘全部、学令児童検診、体格検査、壮丁に関する検診全部とす。但検診に要する薬品並材料は甲者より提供すべし。
 一 伝染病発生の時は普通患者同様料金をもって診療す。
 一 甲者は乙者に対し厚誼執誠に直接間接に斯業の発展を掩護及後援を謀り乙者も亦甲者の意志に応じ相互扶擁し以て患者に対して懇切丁寧を旨とし、鋭意診療に努力すべし。
 一 乙者は一ヶ年に三回以内(壱回一週間以上二週間以内)の出張旅行することあるべし。甲者は之を承認す。
 一 赴任入村後待遇上又は往診の労に堪えざるか又は精神的苦痛を感じ永住に堪え難しと認めたる時は僅かに一、ニヶ月の短時日に於て辞任することあるべし其時に際し住宅病室の建築其他の事故のため乙者の辞任を拘束することなし。
 一 乙者の赴任入村の際荷物運搬費は河ノ内までは乙者の負担とし河ノ内より乙者の住宅までの運搬は甲者の負担とす。
   右契約の相違なきため本書弐通を作成し、各自記名捺印の上各壱通を保管す。
    大正十三年九月参拾日
                 杣 川 村 助 役 遠藤仁平 公印
                 証人渋草大組長 山辺平吉 印
                 医     師 岡田胤茂 印
 以上 契約書を見るにつけても、辺地診療の必要性はもちろんであるが、当時の行政当局の村民医療に対する熱意のほどがうかがわれる。また、いかに当時医師をこの辺地に迎えることの困難であったかもうかがい知ることができる。また、これらから察せられることとして当時の人たちの
  企画性
  緻密さ
  責任意識
  約束と義務履行
  文書処理の精密
などが今日の私たちの公的事務処理などにおいてたいせつであることを
痛感する。
     村医雇入契約事項
      大正十三年九月三十日契約締結
       契約者
     杣川村代表者  助 役  遠 藤 仁 平
             医 師  岡 田 胤 茂
       証 人
           渋草大組長  山 辺 平 吉
   契約事項
 一 大正十三年分は金五百円とし九月より十二月まで前渡支給す。
 二 大正十四年度(四月より)金七百円也とす。但し月割をもって計算し毎月末に支払う。
 三 医師住宅は村より提供し、破損の時は医師の指示により村に於て修繕す。
 四 往診料及薬価は如何なる場合を論ぜず一切現金即納とす。
 五 往診療左の如し
  (一) 渋 草  全部無料
  (二) 笠 方  壱円五十銭乃至弐円五十銭
  (三) 大 成  壱円
  (四) 相ノ峰  壱円五十銭
  (五) 前 組  弐円乃至弐円五十銭
  (六) 本 組  弐円
  (七) 中 組  壱円五十銭乃至弐円
  (八) 梅ヶ市  弐円五十銭
  (九) 若 山  弐円五十銭乃至参円
   但し風雨降雪夜間は五割増
 六 種痘全部、学齢児童検診体格検査、壮丁に関する検診全部無料とす。
   但し薬品並に材料は村の負担とす。
 七 伝染病発生の時も普通患者同様料金をもって診療す。
 八 医師は一ヶ年に三回以内(一回一週間以上二週間以内)の出張旅行する事を得るものとす。
   以上の外の契約事項は茲に之を省略す。
 (覚 書)
 一 年補助額金五百円也を十四年四月より金八百円也に増額すること。支払期は十四年四月より毎月末支払うこと。
 一 往診料及薬価は貧福の程度如何にかかわらず絶対に一切現血制度とす。
 一 住宅兼病室は即時建築に着手すること。
 一 住宅兼病室を建築するといえども其新築のために医師の一定永住を拘束することなし。
 一 赴任入村後待遇上又は往診の労に湛えざるか、又は精神的苦痛を感じ永住に堪え難しと認めたる時は僅かに一二ヶ月の短時日にて辞任することあるべし。其時に際し住宅病室の建築又は増補助額増額のため医師の辞任を拘束することなし。
 一 乗馬は当分の内愛馬倶楽部馬匹を乗用し、乗馬熟練次第買収提供すること。
   右項目を先に示談ありたる項目中、改訂加入相成候えば村医の任に堪え得るや否や予期し難しといえども、当分試験的に杣川村医の嘱託を受任可仕候也
    大正十三年九月参拾日
                    岡 田 胤 茂 (岡田)
 右のほか、田中精一医師・松元重憲医師・栗田祐賀医師・大上富次郎医師・中村正一医師についてそれぞれ契約書が交わされているが紙面のつごうで割愛する。