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面河村誌

(二) その他

 本村はもちろんのこと、上浮穴郡では、春先ともなると、つくしやわらびが芽を出し、四月にはわらびやいたどりが、五月の声を聞けばぜんまいやうどが姿を現す。また、六月にはふきが出始める。
 これらの山菜は、本郡の人々にとっては、なくてはならない副食であったため、それぞれの時期には、隣近所の人たちが誘い合ってよく採りに行ったものである。
 採って帰ったそれぞれの山菜を、塩づけにしたり、ゆがいて乾燥したり、つけ物にしたりして、必要に応じて取り出し、食べていた。冬季にぜんまいやわらび、ふきなどを食卓に乗せることができたのも、それぞれの山菜の性質に適した保存の方法を、昔の人たちが考え出していたからにほかならない。
 ところが、現在では、他人の山や谷に分け入って、これらの山菜を自由に採ることができなくなってしまった。それは、山菜料理の味が見直され、珍重され始めたからである。久万町の国民宿舎である古岩屋荘や、面河の国民宿舎では山菜を買い入れ、山菜料理として売り出したこと、さらに、郡内の飲食店でも山菜料理を始めたこと、松山地区の旅館でいくらでも山菜を買い取ってくれることなどによって、山菜が商品としての価値を持ってきたのである。これが、山菜を自由に採ることができなくなったいちばん大きな理由である。
 しかし、これらの山菜は、郡内のいたるところで自生しているから、自分の持ち山や、共同の持ち山、さらに、町有林や国有林などでは、まだまだ、山菜を採る人の姿を見ることができる。
 このほかに、加工して保存はしないが、ふきのとう・たらの芽・ちもと・のびる・せり・ていれぎ・みつばなどがあり、あるものは焼いて食し、また、あるものは酢みそあえにして食べたりしている。いずれにしても、本郡の人たちは、これらの山菜の味を存分に味わい、加工できるものには手を加えて保存し、年中食することができるようにしているわけである。
 これらの山菜は、現在ではし好的な食料として取り扱われているが、今から二〇年ほど前まで、つまり、昭和三十年ころまでは、農家にとっては不可欠の副食物でさえあったのである。
 加工食物として忘れてならないものの中に、らっきょうづけと梅干がある。「日の丸弁当」といえば、梅干がなくてはならない。梅干は、弁当の腐敗を防ぎ、また、整腸剤としても価値があるところから、特に、夏分にはよく食べられている。さらに、梅酒をとって薬用にするなど、その利用度は高い。
 らっきょうも、ほとんどの農家でつけられ、愛用されている。これらの加工食品は、昔からあり、今も続いて加工している。しかし、梅にしても、らっきょうにしても、量産には至らず、自家消費用に加工していたにすぎない。この傾向は、今後も続くものと予想される。