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面河村誌

(一) 戦前の養蚕

 戦前における面河村の養蚕については資料に見あたらない。
 上浮穴地方の養蚕も古く、久万地方では、寛政九年松山藩が久万山に養蚕を奨励したのに始まると、「松山藩旧会所日記」に書かれている。小田地方は大洲藩の所領であったが、明治二十年ころ、山村経済の振興に、役だたせるため養蚕が導入された。いずれにしろ、北海道を除く各地で養蚕が盛んになったのは立地条件がいずれの土地にもあっていたからである。
 大正末期から昭和初期にかけての隆盛は全国共通であった。上浮穴地方でも桑園を広げ、蚕室の新・増築を行い、きそって養蚕に力をいれた。しかし、農業恐慌による繭価の暴落と養蚕技術の不足による病害などの不運に遭い、大きな打撃を受けた。しかし、国の法により更生する道は開かれた。