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面河村誌

一 養 魚

 近年天然の淡水漁が減少していき、一方海魚も年々減少していく傾向にあり、さらに、魚自体も汚染されていく中で、なんとかして淡水魚の王様といわれるあまごの養殖はできないものかと考える者が出た。そこで徳島県立小歩危養魚場、さらに、岐阜県・長野県に研修に出かけ、昭和四十四年十月から美川村長崎であまごの養殖を始めた。この長崎養魚センターは、愛媛のあまごの養殖の発祥の地である。
 昭和四十五年一月、岐阜水産試験場より二万匹の稚魚を取り寄せて養殖し、その孵化に成功した。しかも、その孵化率は相当高いものであった。昭和四十六年ころから、柳谷村とか小田深山などでも、養殖を始めるようになった。
 昭和四十七年五月から、あめのうお(あまご)とますの養殖を、美川村中黒岩でしていた人は次のように語っていた。「年間通して一三度Cという養殖にとっては最適の湧水を利用して、二万匹ほど養殖しているが、副業として続けていきたい。」
 面河における養魚は、国民宿舎「面河」ができた昭和四十一年ごろから始まる。
 昭和四十四年四月、本村土泥で、養魚を専業として始めたM氏の場合の年次別生産高と飼育能力(池の広さ)は次表のとおりであり、昭和五十年当時は、郡内一位の生産高となっていた。マスやアメの養殖には、水温は一三度Cぐらいが適当であり、二二度を越えると死ぬといわれている。余り低温だと、どうしても肥育が悪く、営業としては成績がよくない。さらに、飼育魚数が増えるにしたがって、豊富な水量の供給が必要になり、これらの条件が満たされないと養殖は不可能である。
 この養殖池は、割石川の支流、妙谷川沿いに設けられており、夏一四度C、冬でも一二度Cと絶好の条件を備えており、冬の成育も極めてよい。

M氏の場合の年次別生産高と飼育能力(池の広さ)

M氏の場合の年次別生産高と飼育能力(池の広さ)