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面河村誌

一 発想と経過

 西日本一の高さを誇る霊峰石鎚に道路を建設しようという計画が、昭和四十年一月県土木部から発表された。
 石鎚神社を中心とする山岳信仰で、七月一日「お山開き」、期間中は女人禁制・白装束山伏姿で五・六時間はかかると思っていた我々には驚きであったが、画期的な発想であった。山はみんなのものであり、だれにでも愛され利用され、気軽に登れることも近代的な姿であろう。
 面河西条線のうち、関門を起点として冠岳付近までは面河本流や鉄砲石川支流沿いにそして丸滝山付近からは尾根伝いに土小屋まで約一八キロを、有料道路として建設しようというものであった。
 線名は、県道西条久万線・関門(標高六四五メートル)より土小屋(標高一四九三メートル)まで一八・一キロ・幅員五・五メートルの二車線アスファルト舗装
 ○昭和四十年二月県議会でスカイライン開発を、満場一致で可決する。
 ○昭和四十年四月県土木部長以下関係者、面河村・西条市・小松町等 関係者の計一四名で山道を踏査。西条市で、石鎚スカイライン期成同盟会を結成した。