データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

面河村誌

(四) 大味川地区

 この地区には、若山に若山小学校、中組に面河小学校、本組に城山小学校と三校設置されていた。
 それら三校が統合された経緯を「面河第一小学校二〇年の歩み」より記述する。
   昭和二〇年代半ばころより、小学校はいずれも小規模で、大半は復式学級であり学力向上に支障をきたすは勿論、村教育予算編成配分においても複雑多岐の上その分配は僅少となり学校運営上の支障もまた大きいものがあった。
   時の村長高岡直雪氏は村内小学校を統合し、児童の学力向上と教育予算の合理化を図り、教育効果の能率化に積極的に努力され、その工作に努めたのである。
   当地の統合計画は
    1 若山小と面河小(第一小)
    2 渋草小と城山小(第二小)
    3 石墨小と笠方小(第三小)
  の三小学区制とするものであった。
   特にその第一段階として老朽校舎のひどい若山小学校と面河小学校に着手せんとした。しかし、校地・通学・予算等種々困難な問題が続発し、両校下の協力を得るに至らず、ついに計画を変更し面河小学校と城山小学校の統合に着手したのである。
   ついに昭和二八年一月村当局と両校区父兄の熱意と協力により、合併統合の議が決定したのである。
   当時の理事者は
    村 長   高岡 直雪
    助 役   土居 和直
    収入役   小野 義直
    教育長   重見丈太郎
    教育委員  八幡  実
     〃    菅  元弘
     〃    谷口春太郎
     〃    小椋 胤一
     〃    青木 末広
     両校概要
    校   名   児童数   学級数
    面河小学校   九一名   複式学級 三
    城山小学校   六九名    〃   三
   統合に伴う幾多の困難はあったが、両校外の父兄は共に複式学級の解消を熱望しており、これを克服し統合にふみきったのである。
   校名は村の計画により先に述べた六つの小学校を三つに統合する予定で、とりあえず第一に面河小と城山小が統合したので面河第一小学校と決定した。
   場所は両校のほぼ中央、通仙橋の南側面河川と割石川の二つの川合流点、(現在地)左岸の高岡勇氏と高岡広三氏所有の土地を譲り受け設置した。総面積 二一○○坪
   設立費
    校舎建築費 四八〇万円(愛媛土建)
    整地費   一五〇万円(八幡作太郎及び地元)
    橋架設費  二五〇万円(西岡鶴栄・松本光春)
   昭和二九年一月一七日に新築落成す。同時に県道よりの侵入路として河口橋も竣工する。
   一月に落成するも厳寒の三学期中につき、従来の両校で授業を続け新年度より新しくスタートすることにする。
   昭和二九年四月七日木の香もにおう新校舎において待望の学校統合の入学式及び始業式を来賓、有志父兄多数臨席のもとに盛大に挙行する。待望の複式学級も解消され単級学級として出発。
   統合両校より備品を持ち寄り総合使用をしたが、左記の施設・備品等はPTAの協力により設置購入し充実をはかる。
   一 児童用木机 五〇脚 三・八万円 四月購入
   二 放送機具一式 九万円 五月購入
   三 宿直室用浴室 四万円 八月完成
   四 橋両側金網 二・四万円 八月完成
   五 運動場用金網 三・五万円 八月完成
   六 水道施設及びタンク 八万円 五月完成
   計三〇・七万円の内、村費補助 八万円、青年団より一万円を受く。その他、職員用机六脚、一般椅子二〇脚など村費より購入する。
   四月八日PTA総会を開催初代会長に三浦盛信氏を選出する。
   ○運動場など整地作業
   二、〇〇〇坪以上の広大な面積を有するが、古代川底にして、その上南半分は埋立地につき砂礫多く川原の如き状態のため村青年団員延べ三五〇人役の出役を得て整地に奉仕し、また児童も石拾いなどに努め八月中旬に完成する。これにより同月二一日、二二日の郡連合青年体育大会を挙行することができた。
   また、運動場と校舎の中段は庭園としPTA、児童の寄贈により草花、小さな庭木を植え、運動場周囲に桜一〇〇本を植樹する。
   同三〇年四月児童の勤労教育と村産業教育振興との趣旨から、学校裏山のカヤ場二段歩をPTA出役の下に開墾し、茶苗四五〇〇本を植樹する。七月教員住宅は旧両校のものを使用し勤務上不便であったため努力をした結果、公営住宅の割り当てを受け五戸の建築決定をみる。しかし、村当局はその負担にたえざる事情を勘案し、PTA四五万円、国庫補助七〇万円、村補助一五万円、計一三〇万円を投じ川むこうの幸成(現在地)に建設する。(住宅敷地八畝歩は、重見丈太郎氏の寄付)
   建坪五七・五坪、風呂場二・五坪 計六〇坪 七月児童図書充実のため図書三五〇冊を購入する。児童机、椅子四〇脚購入する。一一月三日本校PTAが県教育委員会より表彰を受ける。
   同三一年七月PTAの出役と石工とにより排水溝を構築し運動場の整地整備をする。また、バックネット、遊動木などを建設する。九月ピアノ購入(二〇万円PTA寄付)
   同三二年度視聴覚教具の充実のため幻燈機、スライド・スクリーン・テープレコーダーを購入する。また約一万円の児童図書を購入し読書力を高める。
   同三三年度施設設備の充実のため校舎・橋梁の塗装、芝生植え、はん登棒新設、茶園東の山へ杉苗植樹、ごみ焼却場作りなどを行う。 
   雨量観測所を新設(建設省高知出張所)
   同三四年度 理科教育振興法適用により備品充実する(一二万円)。運動場周囲へ桜苗を植樹する。学校茶園第一回茶摘みを行い初収穫(農協買い上げ一三〇〇円)
   同三六年度 職員住宅一棟二戸建て竣工。(建坪一八坪)
   同三七年度 郡音楽研究会を実施する。すべり台を設置する。児童が安全通学に努力し、態度も立派であることから久万警察署長より表彰を受ける。
   同三八年度 テレビ施設、引込み工事を促進する。(工費六万円、重見村長三万円、校下父兄負担三万円寄付金による)第二回理振法の適用を受け理科備品充実する。給食室の建設ならびに施設・設備・備品を整え、三九年三月一六日より完全給食を実施する。それに伴い水道貯水槽工事も施行する。
   同三九年度 運動場周囲の金網を張る。
   同四〇年度 一〇月郡道徳教育研究会を行う。河口橋向い山の谷水を飲料水として取水、貯水槽まで施設工事を行う。(工費八三、〇〇〇円)昼野テレビ線を学校へ引込む工事を行い、これによって教育テレビの視聴可能となる。
   同四一年度 体育館(へき地集会所)及び特別教室(音楽室、理科室)二室が竣工する。体育館三二一・二平方米、特別教室一五一平方米。工費一四六三万円)
   同四二年度 面一橋第一期工事完了。六月一六日通行を許可する。
   同四三年度 玄関ポーチ大改修を行う。また、時報ベルタイマー(チャイム)(卒業生寄贈)を取りつける。
   同四四年度 郡図工部研究会場となる。職員作業により土間廊下へ図画作品展示板、運動場へ動物像を完成する。運動場へ金網張り、整地、道路土入れ、遊具ペンキ塗装作業(PTA作業による)。面一橋取付け道路崩壌部改修工事若山小学校との統合決定する。
   同四五年度 若山小学校統合によりPTAで若山小の備品その他を運搬する。四月八日両校児童の対面式を行う。各教室塗装、体育倉庫・バス待合所建設。体育館前渡り廊下工事をなす。
   同四六年度 郡理科研究会を開催する。土間・廊下・手洗場を設置。国旗掲揚のポールを鉄製三本取り替える。教員住宅(一棟二戸)を校舎西側の学級園跡へ建設する。
   同四七年度 郡学校保健研究会場となる。校長室・図書室の新設、また校舎中央通り抜けをふさぎ、資料室と図書室への通路の廊下とする。旧河口橋が老朽化し、昨年度より北側へ新建設中の河口橋が四月一〇日間通し、児童の安全な登下校と自動車の通行も可能となる。本組地区の児童通学路として七月一五日より自衛隊により工事をすすめていた昭和道路が九月一三日に開通する。校歌を制定する。(作詞水口義一氏、作曲亀井英男氏)
   同四八年度 郡内教頭研修会会場となる。各教室の照明改善工事、屋内配電線取替え、螢光燈増設、非常ベル幸成住宅まで延長工事を施工する。河口橘より入口、玄関前へ庭園を造成する。(工費約一〇〇万円)
   同四九年度 郡PTA研究大会を開催する。 
   校門を建設する。(工費約四〇万円。PTAより三五万円、中川鬼子太郎より五万円)創立二〇周年記念として「二〇年のあゆみ」誌を発行する。
   同五〇年度 焼却場建設ならびに運動場のネット張りを行う。PTAより校旗を寄贈される。郡家庭科研究会場校となる。
   同五一年度 幼児学校校舎新築落成する。郡音楽会に四、五、六年生参加する。
   同五二年度 県より第三体育研究指定校となる。西門完成する。(歴代PTA会長の寄贈による。)県教育委員会より面河第一幼稚園として認可される。
   同五三年度 職員住宅二軒建設。郡教研社会科研究校となる。協同学習県指定となる。
   統合以前
  一、面河小学校
   面河小学校時代の資料がなく不明
  二、城山小学校(沿革史がないため面一小二〇周年記念誌「二〇年の歩み」による)
   (一) 所在地 面河村大字大味川三番耕地一一三番地
  (二) 沿革
  明治 八年 三月    味川小学校として創立
     〃 二〇年 三月    城山簡易小学校   
     〃 二五年 九月    城山尋常小学校
     〃 三六年 七月    校舎新築
     昭和 九年一二月一二日 改築落成(現在の公民館) 
     〃 一六年 四月    城山国民学校
     〃 二二年 四月    城山小学校
     〃 二八年 三月    閉校(新面河第一小学校へ統合) 
  三、若山小学校(同校沿革史による)
   明治九年三月五日若山小学創設 かやぶきの住宅兼教室が、中ヶ市部落に建ち、少人数の児童が二年間勉強した。
   明治二〇年若山簡易小学校と改称(校舎坪数一〇坪)
   同二五年九月一日若山尋常小学校と改称
   同三八年四月かやぶきの校舎(教室一、職員室兼宿直室一)を現在の運動場北隅に建てる。(校舎三四坪、運動場一〇八坪)
   同四一年より就学六年間となる。
   昭和一六年四月一日若山国民学校と改称する。
   同二二年四月一日若山小学校と改称する。
   同三〇年五月二〇日現在の校舎が新築落成する。
   同三五年三月教員住宅二棟四家族分完成する。
   同三七年八月二〇日校舎内外の塗装工事を施工する。
   同三九年四月二七日学校給食を開始する。
   同四一年五月一四日通学道が完成する。六月体育庫竣工する。九月今治における四国へき地研究大会にてへき地優良校として表彰される。
   同四三年四月車庫竣工する。六月校舎前の鉄垣完成する。
   同四五年三月二五日面河第一小学校と統合することとなり閉校式を挙行する。
     若山小学校のうた
   一、石鎚の谷 水清く
     緑に映える 若山の
     空にひびけと うたいつつ
     ぼくらは明るく 伸びていく。
   二、青空高く 澄みきって
     もみじに映える 若山の
     この学びやの わたしらは
     やさしくつよく 育ちます。

面河第一小学校学級編成沿革

面河第一小学校学級編成沿革


城山小学校の沿革

城山小学校の沿革


城山小学校の歴代校長

城山小学校の歴代校長


若山小学校児童数推移等沿革1

若山小学校児童数推移等沿革1


若山小学校児童数推移等沿革2

若山小学校児童数推移等沿革2