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面河村誌

(三) 風呂敷・袋物とバッグ

 風呂敷は、古来から使われた日本独特のものであり、大小さまざま、柄もいろいろ、男女を問わず広く使った。特に、明治時代から大正時代には、小学校から大学まで、教科書などの包みは、すべて風呂敷であった。
 袋物も大小さまざま、実用的なものから趣味的なものなどあるが、信玄袋は明治中期から大流行した。多くは、布帛(布は木綿、帛は絹)で作り、底を付け、口を紐で締めるようにした、主として旅行用の手提袋である。
 昭和時代の初めから流行した手提鞄は、都会のサラリーマンの間に流行したが、やがて全国の男子の必携品となり、昭和三十年ごろからは、中学校・高等学校生徒の通学用鞄となった。
 ランドセルは背負い鞄・背嚢(はいのう)。はいのうといえば、陸軍兵士の軍装用、陸軍幼年学校の通学用としても使っていた。
 ランドセルといえば、学童の通学鞄、小学校一年生の七つ道具の一つである。昭和三十五年ごろからである。しかし、ランドセルは、しだいに布製のナップサックに変わりつつある。
 婦人用の手提鞄(ハンドバッグ)は、下は市井の女性から、上は女王様に至るまで、時と場所とを問わず、必ず携帯すべきものとなった。しかも、これはファッション性が強く、手提からショルダーバックまで、色も型も千差万様、かつまた材料も、革・布・そして藤などまさに多彩である。
 婦人にとって、ハンドバッグは、実用性もさることながら、ある意味では、トータルファッションの一部アクセサリーでもある。恐るべき流行である。