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面河村誌

(一) 手仕事

筵打ち、これは主として冬期の作業である。筵は、家の敷物・穀物の取入れ・乾燥・製茶など、この地方では唯一無二の敷物で、その利用も多様であり、欠くことのできないものであった。昭和二十年ごろまではほとんど手打ちであったが、その後機械打ちに押され、伝来の筵打ちも、筵を打つことのできる女子も、今では全く見あたらない。
 現在民芸品として、観光地などで売られている蓑、笠・ユグリ(山行の弁当入れ)など相当手のこんだ作業も、主として女子の手仕事、しかし今は、それを用いることもなく、作る女子もいない。蓑、笠はレーヨンの雨共に、弁当入れはナップサックに変わってきた。
 昔は、麻から布を織ったのであろうか、明治時代の中期以降、麻は専ら麻糸に紡いだものである。その糸は畳糸として使われたが、麻の実(この地でオノミといった)が、麻薬の原料であるため、太平洋戦争後、日本で大麻取締法によって、その栽培が規制され、その後麻は全く見あたらない。おのずから麻から糸にするまでの技術も今はない。ただ、明治の名残ともいえる麻紡機は、二、三見受けられる。
 草鞋・草履はどの家庭でも手作りであった。雨の降る日、あるいは夜業に若い男女が集まって草履作りをよくやったものである。これも、地下足袋・ゴム製品の履物に押され、そうした作業も見られなくなり、その作り方すら忘れ去った。
 今、振り返ってみると、そうした数々の伝来の手仕事は、祖先の技術の伝承であったが、それを受け継ぐ人もなく、なんでも安易に求められるので、技術そのものも衰退してしまった。もちろん現在では、それを生活必需品に復活させることはできない。かつての農民の自給自足の生活は、かえって高物につく場合もある。しかしこうした道具類のみでも保存し、よし、懐古趣味としてでも、伝来の農民の生活に密着した技術は、なんとか、後々までも伝えたいものである。