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面河村誌

六 詩 吟

   鞭声粛々夜河を過る
   暁に見る千兵の大牙を擁するを
   遺恨なり十年一剣を磨く
   流星光底長蛇を逸す
 明治四十三年ごろ、若山尋常小学校夜の教室、洋燈の明りに照らされて剣舞を舞いつつこの詩を吟じた。吟ずる者は小学校の教師、舞う者は土地の娘六、七人である。今でいえば芸能小学校を中心とした地域社会のコミュニケーションともいえる。
 それから約六十有余年、昭和四十二年四月面河吟鎚会が誕生した。その主旨は、漢詩の吟詠を通じて情操を高め、過疎の郷土に活気と親睦を目指し、農村生活に心の潤いを求めようとするものである。中川和広らを中心として相寄り、松山市中予清朗会(石丸翠風主宰)に入会、その設立総会を開催した。
 松山翠風流宗家石丸翠風・松本蘇丞(光春)・高岡梢風(正志)・丸山千鶴子ら二十余名が出席して、華々しく発足し、初代会長に竹田昇が選任された。これが現在の面河における漢詩吟詠のルーツである。
 特に本会顧問菅鶴山(鶴夫)は、次のような一題を示し、これが面河吟鎚会の会詩となった。
   面河の清流尽きんとして尽きず
   石鎚の山悠然として横たわる
   人は歳々行きて帰らざるも
   残留の同志詩心に生きんとす。
 爾来十有余年、本部の指導と、会員相互の研さんにより、面河村内はもちろんのこと、郡内各地との交流もあり、ますます隆盛を極め、昭和五十三年度会の活動予算七十余万円、詩吟を通じて質実穏健なる思想、地域社会の交流を深めつつある。
 現在面河吟鎚会の会員約七〇名、第五代会長光田友義、指導者として、本部師範高須賀翠渓(広之)、師範中川翠郷(英明)、石丸翠流(盛興)、準師範光田友義、教師竹田昇、松村義一らである。特に、本組・土泥・中組・若山・仕七川・竹谷などに支部班を設け、定期的に指導者を派遣して吟詠の底辺を広めつつある。
 漢詩は支那(中国)漢の時代の詩に由来するものであり、詩吟とは、その漢詩に「節」をつけて吟詠することであるが、その吟法に至っては、各種の流派があり、流派ごとに段位の認定を行い吟詠を競いあっている。
 なお、面河吟鎚会の中に、剣詩舞部(部長高岡美代子)を設け、渋草婦人会を中心に、婦人・子供らの愛好者が集まり、それぞれの衣装もきらびやかに、天心流の扇舞・剣舞の演技を習い、老人クラブなどにおいて日ごろの成果を発表している。