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面河村誌

(二) 八社神社(笠方)

 和銅六年(七一三)山城国賀茂神社から、天忍穂耳命・天穂日命・天津日子根命・活津日子根命・熊野抒樟日命の五男神と、湍津比売命・田心比売命・市杵島比売命の三女神を迎えて社殿を創設したと伝えられる。
 寛文九年(一六六九)社殿を再建し、大明神と号した。文久三年(一八六三)本殿を改築して八社大明神と改め、明治十九年(一八八六)大暴風雨のため社殿が破損し、同二十年補修し、八社神社と改号した。
 けれども、昭和三十八年(一九六三)十二月、面河ダムの建設に伴い、この境内、そして社屋も水没せざるを得なくなった。延々、千二百五十余年の間、割石川のほとり、市ロの鎮守の森も、今は、ダムの湖底に沈んでしまった。氏神の歴史は、また集落の歴史でもあり、その水没地の氏子の人々も、墳墓の地を去って行った。
 そして、現在の八社神社は、昭和三十八年(一九六三)この地に移され、新築されたものである。