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面河村誌

二 東光山薬師寺

 薬師寺は、東福寺(京都東山に在る臨済宗の寺)派である。昭和十五年(一九四〇)渋草に創建、本尊は薬師如来・日光菩薩、月光菩薩を脇仏としている。
 開山の祖は、藤原揚州和尚、昭和四年川瀬村畑野川定徳寺の住職であったが、無寺の当地に開山を発心し、一〇年の永きにわたる努力と地元の協力を得て、ついに開山、堂宇を新築落成したのである。
 その経緯については、次のようなものがある。
 昭和十四年九月、薬師寺建築に関する補助申請書が、菅広綱・重見丈太郎ほか二二名の連署で面河村長八幡文太郎あてに提出されている。
  当寺ハ、昭和五年四月十四日村会議員ト大組長ノ聯合会ノ決議ヲ以テ建立ヲ決意シ爾来寺院ノ移転許可申請ニ付種々ノ困難ニ遭遇シタルモ村当局ヲ始メ村会議員組長ノ各位ハ申スニ及バズ村有志ノ熱烈ナル御援助ニ依リ寺院ノ建築ヲ条件トシテ薬師寺ノ移転並ニ建築ノ認可ヲ得……………
  同年七日七日起工式ヲ行ヒタルモ今次事変トナリ請負者中ヨリモ応召者ヲ出スコトトナリ工事ハ自然中絶ノ止ムナキ事トナリ…………
  昭和十四年一月総代会ヲ開キ沼田実太郎ニ竣工期日ヲ昭和十四年五月十日迄トシ随意契約ヲナシタルモ物價ノ暴騰ヲ来タシ別紙決算書ノ通リナルモ追加寄附モ其術ナク相困リ居リ候状態ニ有之候
  村ニ於カレマシテモ経費多端ノ折柄御困難ノコトト存候得共事情御了察ノ上不足額御支出方御配慮相蒙リ候様願度此段及申請候也
     決 算 書
   総工費概算     一一、八〇〇円
    収 入 額     八、三九九円
    収入見込額     一、五〇〇円
    不 足 額     二、三〇七円
 右のように薬師寺建築補助申請に対して、昭和十五年一月面河村会協議会において、村は昭和十五年度当初予算において、一〇〇〇円を計上し、補助することに決定している。
 藤原揚州は、当山の開創者である。明治九年越智郡岡山村生まれ、安芸国仏通寺などで禅学の研さんを究め、明治三十年広島玉林寺住職、昭和四年川瀬村畑野川定徳寺の特命住職となり、無寺の当地に薬師寺建立のため一〇年の永きにわたり心魂を注いだ。
 和尚は人品高潔、世俗を達観し、しかも、酒脱、檀家の意のあるところをよく把握し、寺院創設の大事業を成就した。
 惜しいことには、第三世住職として、本山専門道場で禅学研さん中の嗣子済州が、昭和二十年戦没、みずからも昭和三十七年二月、心血をこめ紆余曲折を重ねた末創設開山した薬師寺の庵室で永眠した。
 現住職は、昭和二十四年以来在住する藤原訥堂である。