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面河村誌

一 中流意識

 農業が暮らしの基礎であった戦前(昭和二十年以前)の村内の生活水準は、おのずと上下の格差があった。地主があり、小作人があり、経済的な違いは、暮らし向きはもちろんのこと、他のあらゆる面でも、顕著に表れていた。
 戦後の農地改革は、不在地主を無くして小作人を一掃し、自作農となり、民主主義は、あらゆる分野で、人間平等を打ち出した。
 昭和三十五年(一九六〇)池田勇人内閣は、国民所得倍増計画を決定、いわゆる高度経済成長政策を開始、その波は順次この山間にまで押し寄せ、雑殼農家のほとんどが、農業を捨てて都市へ工場へこの地に残りし者も、賃金労働者として、サラリーマン化し、生活がほぼ均一化してきた。つまり、村民の多くは、中流意識をもつようになった。
 経済の成長過程で、国民の生活水準は飛躍的に向上した。もちろんこの面河村でも、その例外ではない。所得水準・栄養・耐久消費材・住宅事情・通信(電話)・進学・労働時間などのいずれをとってみてもそうである。
 消費の生活面でも、均質化の傾向がみられる。例えば食生活では、昭和四十五年ごろには、町村部では、米・麦を食べる率が高く、肉・パンを食べるのは、圧倒的に都会の世帯に片寄っていたのに、昭和五十年ごろには、町村部でも、肉、パンを食べる世帯が増えている。全国的に、生活の様式や、水準が均質化してきているわけである。
 こうした暮らしの変化を背景に、国民の「中流意識」は、強まっている。
 昭和三十七年国民生活センターが、二〇代の人々に、一〇年後の暮らし向きを聞いたところ、中流と予想する人が、八三%いた。昭和四十七年になって、みずからを中流とする人は、三〇代で八九%あった。
 かつて、中流階層の特徴は、消費性向の高いことだった。どんどん物を買い込み、どんどん消費することによって、上流階層に近づこうとする傾向が強かった。つまり、使い捨ての時代である。
 しかし、経済の低成長期に入ると、それに適応した生活態度、つまり、現在はこれでよい。これ以上余り新しい物を買わない、そうした意識の人たちが多くなった。これを「新中間層」と呼んでいる。
 また、最近経済の安定成長ということが、よくいわれる。これは、高度成長経済に比べて成長率が半分になった経済をいう。しかし、安定という言葉に惑わされて、生活も物価も安定した好ましい状態であるという錯覚に陥りやすい。でも、現実には、企業はもうからず、失業者は増え、賃金が上がっても、物価が上がるというのが、安定成長経済の姿である。
 近年、国民の、あるいは村民の生活水準は著しく向上した。その九〇%は、中流意識をもっているかも知れぬ。年収が一〇〇万円に満たない人でも、その多くが、中流と意識しているという現実を直視しなければならない。
 さて、現在の面河村の暮らしは、ある意味での出発点であるかも知れぬ。ゆめ後退してはならぬ。それには卓抜した思考と時代の推移を洞察した施策を必要とするであろう。