データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

面河村誌

(三) ラジオとテレビジョン

 日本の放送事業は、「ラジオ事業の経営は、民法に基づく、非営利の公益を目的とする社団法人によるべきものである」という、逓信省令により、大正十三年から、同十四年にかけて、社団法人、東京・名古屋・大阪の三放送局が設置されたのに始まる。
 東京放送局は、大正十四年三月一日、東京芝浦の仮放送所から、ラジオの試験放送を開始し、同二十二日正式放送を始めた。大正十五年八月、社団法人日本放送協会(戦後の略称NHK)が成立。昭和二十五年六月、電波三法の制定によりNHKの独占的な放送事業経営に終止符を打った。これによって、民間ラジオ局(民放)が誕生した。これは後のテレビジョン事業においても同様である。
 ラジオ放送は、数々の話題を提供した。昭和十一年二月、二・二六事件の際、東京戒厳令司令官香椎陸軍中将の布告「兵に告ぐ、今からでも遅くない……」、それがNHKアナウンサーの名放送として語り伝えられている。
……朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シテ其ノ共同宣言(註・ポツダム宣言)ヲ受諾スル旨通告セシメタリ……
 昭和二十年八月十五日正午、太平洋戦争終結、日本の無条件降伏を、天皇みずからラジオを通じて、「爾臣民ニ告グ」と放送された。
 昭和二十七年四月、連続ラジオ小説「君の名は」の放送が開始され、津々浦々に驚異的な人気を集め、その放送時間帯には、全国の女風呂(銭湯)が、空になったと語り伝えられている。ニュースはもちろん、スポーツなどの実況放送にも定着した。しかし、ラジオは、テレビジョンの普及につれて、一般家庭には余り利用されず、現在では、自動車、災害時、気象通報など、特にディスク=ジョッキー(DJ)は、若者に絶大なる人気がある。
 昭和二十五年ごろから、テレビジョンの開発は着々と進められ、昭和二十七年NHKは、テレビジョンの試験放送を行い(試験放送の映像は、片仮名の「イ」であった)、昭和二十八年二月(一九五三)NHKテレビジョンの本放送(東京地区)を開始した。一日約四時間、受信契約数八六六であった。そして同年八月、日本テレビ株式会社が民間テレビ(民放)として放送を始めた。
 愛媛県下のテレビ放送は、昭和三十二年五月、NHK四国本部(松山)が放送を始め、昭和三十七年教育テレビを従来(総合)と異なる電波で併せ放送した。特に教育テレビの目玉ともいえる学校放送番組は、教育の機会均等という点で画期的な役割を果たし、その他の教養番組は、家庭の主婦にも、居ながらにして、料理・手芸・外国語などを学ぶ機会を与えてくれた。なお、昭和三十五年九月、今までの白黒とともに、カラー放送を開始した。
 県下の民間テレビは、昭和三十三年十二月、南海放送株式会社が、昭和四十四年十二月、愛媛放送株式会社が、それぞれ放送(UHF)を始めた。
 現在(昭和五十四年四月)全国のテレビ受信機は、二六二二万七〇〇〇台(カラー受信機二一七一万六〇〇〇台)、対人口普及率は約二四%である。面河村内の受信機は四八八台(カラー受信機三七五台)、対人口普及率は、約三〇%、全国平均を上回っている。なお、テレビ受信料は一か月白黒四二〇円、カラー七一〇円である。
 このように、テレビの普及は、生活上の一大革命であり、またテレビは、生活必需品ともいえる。国内はもちろん世界のニュースは、即刻映像とともに伝えられ、民間放送のCM(コマーシャル=メッセージ・広告アナウンス)は、暮らしの均一化をもたらし、娯楽においても、すべての分野で、一流か二、三流どころが写し出され、都会も田舎もなくなり、旅回りの芸人は逐次姿を消した。
 昭和三十九年(一九六四)、第十八回東京オリンピック大会女子バレーボール優勝戦で、ソビエト女子チームと東洋の魔女、日本女子チームとの試合は、テレビで放映され、全国の街角も人の往来まばら、テレビの前に釘づけされたほどである。
 昭和四十七年(一九七二)二月、浅間山荘事件(連合赤軍と称せられた五人の若者が、長野県軽井沢浅間山荘に、人質をとり籠城、警察が山荘破壊を含む強行作戦で、人質を救出、全員逮捕)なども、国民は終日、その攻防のありさまを、かたずを飲んでテレビに見入った。
 日本のテレビが、一〇〇〇万台に達したのは、昭和三十七年三月で、そのころからテレビが生んだ流行語が、目だち始めた。「ハイそれまでよ」「いいからいいから」など。
 テレビが、二〇〇〇万台に達し、全盛を迎えたのは、昭和四十五年ごろで、テレビのCM(民間放送)が流行語の主流にさえなってくる。「三分間待つのだぞ」。
 近年テレビの子供向けCMに対する風当たりが厳しくなっている。生まれた時から、テレビ番組の洪水の中で過ごす子供ら、よかれあしかれ、今の子供は一週間に平均二〇時間近く、テレビを見ているとか。学校の授業時間よりも長いかも知れぬ。毎日午後七時ごろ、日本中の子供の八五%がテレビの前に。
 CMは、けっこうおもしろくできているともいえる。日常身辺の雑事を話しており、ごく自然な語り口であるから、耳に入りやすく、こんな商品もあるのか、こんな物も作れるかとか、感心したり、驚かされたりする。こうしてCMは、社会体験を豊かにするともいえる。
 しかし、その反面、子供は、CMに使われる言葉だけをよく覚え、親との対話はもちろんのこと、視線さえも合わないように育っている。判断力を持たない子供を対象にした、テレビ番組のコマーシャルは、やめて欲しいとの要望すらある。
 テレビを見るのは、読み書きのような特別な能力・思考・技術はいらない。しかも一日中、休みなく、何かが放映されている。テレビを見ない運動さえ起こりつつある。
 しかし、テレビジョンは、ニュース・娯楽・教養・ファッションなど、あらゆる生活の分野に深く浸透している。もはや、生活から、テレビを取り去ることは、できないようである。